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きょうのことば

きょうのことば - [2014年10月]

仏教は生きものである

「仏教は生きものである」
鈴木大拙(『禅に生きる 鈴木大拙コレクション』ちくま学芸文庫 233頁)

 標記の言葉は、大谷大学で教鞭をとった仏教学者鈴木大拙(だいせつ)(1870~1966)が、1943(昭和18)年、『大谷学報』第24巻第3号に寄せた論文「大乗仏教の世界的使命—若き人々に寄す—」にある言葉です。時は日中戦争勃発後、日本政府が「日本精神」の高揚を目的に国民精神総動員運動を推し進め、さらに「大東亜共栄圏」建設を大義として戦線を拡大していたさなかでした。

 目を宗教教団に転じれば、仏教もキリスト教も神道も、こぞって戦争遂行に応じようとしていました。そうした空気が時代を覆うなかで、大拙は、仏教に生きる人たち、とくに目の前の大谷大学生たちに向けてこの論文を書きました。標記の言葉の続きもあわせて紹介しておきます。

仏教は生きものである、而(しこう)して今日の世界的環境ほど仏教をしてその生き甲斐を感ぜしめるものはないのである。即(すなわ)ち仏教は今の時代に向ってこそ大いにその生生(せいせい)たるものを宣揚しなければならないのである。・・・(中略)・・・吾等(われら)はもはや素朴な原始民族的世界観を焼き直し、それに伝統的、宗派的、島国的、政治的仏教を加味して、それで天下に乗り出そうと云う覚悟にはなれぬのである。

 ここには、当時の学者や仏教者が『古事記』など神話の世界や聖徳太子の言葉を用いて「日本精神」を説き、国民を戦争へと駆り立てていたことへの批判が感じられます。大拙は、そうした時代思潮のあり方を危惧(きぐ)しました。とりわけ仏教の思想的生命が死に瀕していると痛感し、今こそ仏教本来の精神が表現されるべきだと訴えたのではないでしょうか。

 さて、今月13日は開学記念日です。初代学長清沢満之は開学にあたり、「本学は他の学校とは異なりまして宗教学校なること、ことに仏教の中において浄土真宗の学場(がくじょう)であります。」(「真宗大学開校の辞」)と、仏教精神を建学の願いとすることを宣明しました。さらに第三代学長佐々木月樵(げっしょう)は、仏教に生きる人間の具体的な姿を、真の人格を形成し、互いに敬い合いながら生きられる社会の実現にあると述べました(「大谷大学樹立の精神」)。かの時代、危機感をもって仏教の可能性を訴えた大拙は、歴代学長が表明した仏教への信頼と責任感を共有しながら、この論文に、建学の精神の想起と学生の奮起への期待を込めたのではないでしょうか。

 大拙の言葉は、混迷する今という時代を大谷大学で学び育つ私たちに向けて、「本当に仏教を生きていますか。仏教を死物にしてはいませんか。」と、問いかけているようです。

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