ここからサイトの主なメニューです

Home > 読むページ > きょうのことば > 二度とない人生だから つゆぐさのつゆにも めぐりあいのふしぎを思い 足をとどめてみつめてゆこう

きょうのことば

きょうのことば - [2014年03月]

二度とない人生だから つゆぐさのつゆにも めぐりあいのふしぎを思い 足をとどめてみつめてゆこう

「二度とない人生だから つゆぐさのつゆにも めぐりあいのふしぎを思い 足をとどめてみつめてゆこう」
坂村真民「二度とない人生だから」(『自選 坂村真民詩集』大東出版社 194頁)

 この言葉は、仏教詩人・坂村真民(しんみん)(1909~2006)の「二度とない人生だから」と題された7節からなる詩の、第5節目の句です。真民が、自らに言い聞かせるように書き記したこの詩句は、読む者の胸にもそれを促すように響いてくるようです。
 この詩句を目にしたあなたは、「人生が一度きりであることは、わかっています。だからこそ私は、必死に生きているのです」と、内心思われたかもしれません。でも、そんなあなたこそ、この詩句に込められた真民の思いを、味わってみてはいかがでしょうか。そっと口ずさんでみて下さい。少し肩の力が抜けたような気持ちになりませんか。

 実は、かく言う私が、この詩句をふと目にしたとき、足を止めて草花の表情を見つめたことなど、この数年なかったことに思い当たりました。ついつい「忙しい」を口癖にして暮らしている私は、思わず深呼吸をしていました。

 思えば、「忙しい」の「忙」という漢字は、「忄(こころ)」(=立心偏)に「亡(うしな)う」と書きます。日々、途切れぬ仕事、目前の課題や役目に追われるなか、周りが視野に入らないばかりか、自らも見失っている。残念ながら、これが今を生きる私たちの姿でしょうし、さらに言えば、私たちは、そんな自らを省みる余裕をすら失っているのかもしれません。
 今の私たちのライフスタイルが、そのような息が詰まりそうなものであることに気づくとき、この真民の言葉は、私たちの身の回りの環境(せかい)や自分自身をもう少し慈(いつく)しみ暮らすことの大切さを教えてくれるのではないでしょうか。

 さて、同じく「二度とない人生だから」の第2節には、次のように詠まれています。

二度とない人生だから 一匹のこおろぎでも
ふみころさないように こころしてゆこう
どんなにかよろこぶことだろう
 この言葉からは、たとえ小さな生き物でも、その他者の存在の尊さと、生命そのものへの慈しみと敬いを忘れぬことを自らの戒めとする真民の信念が伝わってくるようです。

 春、3月。皆さんの多くが、新しい生活へと巣立ち行く季節です。きっと忙しくもなるでしょう。でも、だからこそ小さな出遇いに足を止めてみて下さい。願わくは草花のふとした表情や足下の小さな虫たちとの、「めぐりあいのふしぎ」を感じられる人でいたいものです。どうかいつまでも、そんなあなたを見失わないで、歩み行かれることを願っています。

Home > 読むページ > きょうのことば > 二度とない人生だから つゆぐさのつゆにも めぐりあいのふしぎを思い 足をとどめてみつめてゆこう

PAGE TOPに戻る

ここからサイトの主なメニューです