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きょうのことば

きょうのことば - [2012年09月]

もろもろの衆生において、視わすこと自己のごとし。

「もろもろの衆生において、視わすこと自己のごとし。」
『仏説無量寿経』(『真宗聖典』6頁)

 東日本大震災以降、「絆」という言葉が世間に満ちあふれたように、人と人との「つながり」が特に意識されて様々な場面で語られるようになりました。これは改めて言うまでもないことなのですが、私たちは一人で生きているのではなく、家族や友人など、また職場や地域社会における人間関係など、様々な人々とのつながりの中を生きています。身近でかけがえのない人々とのつながりが断ち切られるという、深い傷(いた)み悲しみに触れることを通して、私たちは改めて自分がつながりの中を生きているという事実を、それぞれの立場で確かめていきたいという思いにかられたのではないでしょうか。
 では、「つながり」の中を生きるという事実の中で、私たちは人々と共にどのように生きることが願われているのでしょうか。

 標記の言葉は、『仏説無量寿経』という経典の中にあり、菩薩とはどういう存在であるのかを述べた文章の一節です。

 もろもろの衆生において、視わすこと自己のごとし。(菩薩は、すべての生きとし生けるものを、まるで自分のことのように視るのです)

 この一文は、他者との関わり方を考える上で大切な視点を与えてくれます。ここで言う菩薩とは、悟りを求めて修行をする者を言います。特に他者を救う(利他)ことを実践し、自らの悟りを完成(自利)しようとする者のことです。衆生をまるで自分
のことのように視るとありますが、具体的に言えば、苦しみ悩みを抱えている人がいれば、まるで自分のことのように共感して、その苦しみ悩みを解決するために行動するということです。ここに他者と共に生きる理想的な姿があると言えるでしょう。菩薩のように、他者の幸せを願い、他者の苦しみ悲しみに共感する人間になってこそ、私たちは人と人とのつながりを真に生きることができるのでしょう。

 しかし、それはまた大変難しいことです。自分のことのように他者を見ることも、また全ての人々に思いをかけ続けることも、私たちには不可能なことのように思われます。だからこそ、経典が語る理想の姿に教えられて、私たちは学んでいく必要があるのです。理想にはほど遠い自分自身の姿を正しく知るところから、他者との本当のつながりを考えていけるのではないでしょうか。私たちに今求められているのは、つながりの中を生きているという事実を忘れず、他者と共にどのように生きていくべきなのか、絶えず考え続けていくことだと思います。

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