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きょうのことば

きょうのことば - [2012年08月]

無知を信奉する者は、漆黒の闇に陥る。

「無知を信奉する者は、漆黒の闇に陥る。」
『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』(『ウパニシャッド』講談社学術文庫168頁)

 標題は『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』(4.4.10)のなかのことばです。以下はこのことばを含む文章です。

無知を信奉する者は、漆黒の闇に陥る。
されど〔謬(あやま)れる〕学識に満足する者は、さらに甚だしき闇に陥るに似たり。

 ウパニシャッドは、ひとりの著者による単独の著作ではなく、仏教興起以前から長い年月をかけて成立したインドの宗教哲学文献群であり、同じく宗教文献である4つのヴェーダとともにバラモン教・ヒンドゥー教の源泉となる聖典です。ヴェーダもウパニシャッドもともに神の啓示(天啓聖典)であり、インドでは最も権威のある宗教聖典です。標題の文章のある『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』は、100以上あるウパニシャッド文献のなかで最も古いもののひとつであり、このなかで初めて輪廻(りんね)・業(ごう)・解脱(げだつ)の思想が説かれました。ブッダもこのウパニシャッドの思想から影響を受けました。

 インド思想では仏教も含めて無知を排斥します。無知とは単に知識がないことではなく、誤った知識のことです。この誤知は諸々の煩悩の根本的な原因です。ウパニシャッドは、真理の知識のみが煩悩を滅することのできる知識であると考えます。日常的な世俗の知識は真理知ではありません。この真理知とは対象をあるがままにとらえる知識であり、言語表現できないものです。あえて言葉で表現するならば「それそのもの」としか言えないでしょう。これは自らの体験でのみ得ることができる知識です。その体験とは宗教的修行です。修行によって自ら体得される知識が真理知です。ウパニシャッドの時代の修行とは瞑想です。真理は、理性や祭式行為によってではなく、内観によって悟るものです。この真理知の内容は、仏教であれば縁起や空の思想でしょう。ウパニシャッドであれば梵我一如(ぼんがいちにょ)の思想です。

 梵我一如はウパニシャッドの中心思想であり、宇宙の根本原理であるブラフマン(梵)と個人の主体であるアートマン(我)とが同一であるという考えです。宇宙と個人とを対応させて、個人を知れば宇宙がわかると考えるところにインド思想の特徴があります。個人つまり、自分自身を知る方法は、身体全体を使った瞑想です。このように、インドの思想は、個人の宗教的体験のなかから生まれてきました。

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