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きょうのことば

きょうのことば - [2010年03月]

たとえためになることを数多く語るにしても、それを実行しないならば、その人は怠っているのである。

「たとえためになることを数多く語るにしても、それを実行しないならば、その人は怠っているのである。」
『ダンマパダ』 (『ブッダの真理のことば・感興のことば』岩波文庫12頁)

 これは『ダンマパダ』(真理のことば)第1章「ひと組みずつ」(対句の章)のなかのことばです。このことばを含む対句は次のような文章です。

たとえためになることを数多く語るにしても、それを実行しないならば、その人は怠っているのである。牛飼いが他人の牛を数えているように。かれは修行者の部類には入らない。

たとえためになることを少ししか語らないにしても、理法にしたがって実践し、情欲と怒りと迷妄とを捨てて、正しく気をつけていて、心が解脱して、執着の無い人は、修行者の部類に入る。

 ここでの「理法」とは、仏陀のことばであり、ダルマです。その内容は、縁起・四聖諦・八正道などです。縁起は、無明から始まり老死に至る因果関係ですが、無明を滅するという実践によって老死の滅という結果を得ることができます。四聖諦は、苦集滅道という四つの真理です。「苦集滅道」の「道」は実践方法という意味であり、その内容が八正道です。

 八正道は、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定という8種類の正しい実践方法であり、苦しみの原因を発見し、それらを滅する道です。四聖諦という理論を知っていても八正道という実践がなければ無意味です。これらの実践方法を通して、「情欲と怒りと迷妄」を捨てるのです。

 「情欲と怒りと迷妄」とは、自己所有欲(貪欲)と怒り(瞋恚)と無知(愚痴)です。これら三つは仏教では三毒と言い、最も根本的な煩悩です。煩悩を捨てることは実践であり、理論の問題ではありません。

 仏教は知識(法、ダルマ)と実践(修行)から成り立っています。冒頭のことばは、人間が生きていくには、知識のみではなく実践が伴わなければならないということをわれわれに教えてくれています。

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