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きょうのことば

きょうのことば - [1999年04月]

吾人の世に在るや、必ず一つの完全なる立脚地なかるべからず。

「吾人の世に在るや、必ず一つの完全なる立脚地なかるべからず。」
清沢満之『清沢満之全集』第6巻2頁

 みなさんの依りどころはいったい何ですか。
 世の中には、財産や権力や地位や体力や知識など、依りどころとするものがいろいろとあります。しかし、それらは「完全な依りどころ」にはなりません。なぜならそれらは、時代や社会などの変化によって壊れてしまう不確かなものだからです。そのような依りどころでは、私たちが考え行動していくことも、また他人を信ずるということも不確かなものとなるしかありません。
  大谷大学の初代学長である清沢満之(1863-1903)は、教え子たちが中心となってから発刊した仏教雑誌『精神界』の創刊号(1901(明治34)年1月)において上のように述べています。

吾人の世に在るや、必ず一つの完全なる立脚地なかるべからず
(私たちが世の中で生きていくためには、どうしてもただ一つの完全な依りどころがなくてはならない)
 この文の眼目は「完全なる」という一語にあるように思います。ここには、完全でないものを依りどころとしていることへの痛みがあり、どこまでも完全な依りどころを求めていこうという意欲があらわされています。
 清沢は、生きていくための完全な依りどころを明らかにするためには、なによりもまず私自身がどこに立っているのかを問うことが必要であると確信しました。そして、その立場を「精神主義」と名のりました。
 では、どのような問題が起こっても、けっして壊れない「完全なる立脚地」とはどこに成りたつのでしょうか、また、そこに立って生きるとはどのような事実なのでしょうか。清沢は、どのような時代や社会の変化によっても壊れることのない「絶対無限者」によるの外(ほか)はないとはっきりと述べています。
 精神主義というと現実や社会を無視して心がまえばかりを強調する立場というイメージがありますが、ここでいう精神主義はそういう意味ではなく、世の中で生きていくうえでもっとも大切なことは、自己の精神の立脚地、つまり信念を確立することであるというモットーのことなのです。
  この言葉が語られた9ヵ月後、1901年10月、東京に、真宗大学(大谷大学の前身)が、「我々に於いて最大事件なる自己の信念の確立」(開校の辞)という願いをもって誕生することになるのです。

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