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きょうのことば

きょうのことば - [2007年12月]

われ敢えて汝等を軽しめず、汝等は皆当に仏と作るべし。

「われ敢えて汝等を軽しめず、汝等は皆当に仏と作るべし。」
『法華経』「常不軽菩薩品(じょうふぎょうぼさつほん)」(『法華経』下 岩波文庫 p.136)

 「一人の生命は地球よりも重い」—これはかつて起きた事件に際して、当時の日本の首相が語った言葉です。「人間の尊厳」や「生命の尊厳」という言葉もよく耳にします。しかしながら、世界各地で多くの人びとがテロや戦争で殺され、深刻な差別が横行し、凶悪な事件が多発しています。国家や人間のエゴによって人権が踏みにじられ、ひとの生命が軽んじられる現実があるのです。このような現実に照らしてみると、「人間の尊厳」も「生命の尊厳」も空虚に響いてきます。そもそも、それらの言葉はどのような根拠にもとづいて語られたものなのでしょうか。

 冒頭に掲げた言葉は、『法華経』の「常不軽菩薩の章」に出てくるものです。この章には「常不軽」〔けっして軽んじない〕という変わった名前の菩薩が登場します。この菩薩は相手がどんな人物であれ、

わたしはあなたを深く尊敬します。けっして軽んじたり、あなどったりすることはありません。何故かといえば、あなたはきっと菩薩の道を歩まれ、将来必ず仏になるべき御方(おかた)なのですから。
と讃めたたえ、ただただ礼拝をくり返したといいます。ここでは、すべての人間が平等に深く尊敬されるべき根拠として、ただ「仏になる」という一点が強調されています。

 『法華経』は「一乗」を主張する経典です。一乗の教えは、すべての人が平等に「仏になる」ことを説きます。「仏になる」とは、人間が本来もっている深い願いに目覚め、人間としての最上の価値と喜びを達成することをいいます。深い願いに目覚め、それを達成するために精進する修行者が「菩薩」であり、そのような人間としての本当の理想を実現した存在を「仏」と呼ぶのです。

 常不軽菩薩の願いに共感し、福祉活動に一生をささげた人物として綱脇龍妙(つなわきりゅうみょう)(1876~1970)がいます。かれは1906(明治39)年、山梨県の身延(みのぶ)の地にハンセン病療養施設をつくり、「われく汝等をう」という経文にもとづき「身延深敬院(じんきょういん)」と名づけました。当時この病は「伝染病」であると誤解されていました。そのため患者は、家族や社会から強制的に切り離されて隔離され、悲惨な生活を強いられていたのです。そのような状況を憂(うれ)えた綱脇は、常不軽菩薩の人間礼拝の精神にもとづき、ハンセン病患者の救済のために奔走しました。「人間の尊厳」をストレートに説きあかす常不軽菩薩の物語に触れて、深い願いに目覚めた人物の例を、ここに見ることができます。

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