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きょうのことば

きょうのことば - [2007年04月]

もし行を学ばんと欲わば、必ず有縁の法に藉れ

「もし行を学ばんと欲わば、必ず有縁の法に藉れ」
親鸞『教行信証』信巻〈所引『観経疏(かんぎょうしょ)』〉(『真宗聖典』p219)

 上に掲げた言葉は、善導(ぜんどう)大師(613~681)が著された『観経疏』のなかにあります。「行を学ばんと欲わば」とは、実際に自分が修める行を学ぼうと思うならばということです。「有縁の法」とは、自分自身にふさわしい法(道)ということです。ですから上の一文の意味は、
 もしも実際に自分が修める行を学ぼうと思うのであれば、必ず自分にふさわしい法によるべきである。
ということです。

 善導は、仏教の学び方について、二種類を対比的に述べています。その一つは、知識として学ぶというものです。もう一つは、自分の生きる道として仏教を学ぶというものです。一つめの知識として仏教を学ぶということで言えば、お経や注釈書等を読んで、仏教に関する情報や知識を入手することができます。それらによって、仏教の様々な教えについて、幅広く知るということはできるでしょう。しかし、ただ知識として学ぶ学び方は、本当の学び方とはいえません。なぜなら仏の教えとは、人が生きる道を教えるものに他ならないからです。苦しみや悩み、悲しみや淋しさなどをかかえながら生きる人間に、その人生を力強く生きていける道を教えるのが仏教なのです。それゆえに、自分の生きる道が明らかになっていくところにこそ、仏教の学びの大切な点があるのです。そのような学び方を善導は、「行を学ばんと欲わば」と述べているのです。

 私たちは、情報や知識を得ることが学びだと思い込みがちです。だから、情報や知識として仏教を知ったことで仏教を学んだような気になってしまいます。しかし、自分自身が苦しみや悲しみに直面したときには、仏教についての情報や知識では生きる支えとはなりません。そして、自分がこれまで知っていた情報や知識や価値観ではどうしてみようもない現実、そのなかで苦悩する人間に向かって語りかけられているものが、生きる道としての仏教なのです。

 そうしてみると、自分自身が生きる道は、自分自身が歩める道であるということが重要です。魅力的で理想的に見える道であっても、自分が歩めない道であれば、自分には無縁な道に他なりません。それゆえ、自分が生きる道を学ぼうとするなら、必ず自分が歩める道を学び取ることが大切です。そのことを善導は「もし行を学ばんと欲わば、必ず有縁の法に藉れ」と呼びかけているのです。

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