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きょうのことば

きょうのことば - [2004年03月]

前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え。

「前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え。」
親鸞『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』 〈所引『安楽集』〉(『真宗聖典』p.401)

 「前に生まれた者は後に生きる人を導き、後の世に生きる人は先人の生きた道を問いたずねよ」というこの呼びかけは、中国の道綽(どうしゃく)(562~645)が著した『安楽集』の言葉です。  

 現代という時代にあって、私たちは、様々な矛盾や困難、また思いもしないような出来事に直面 しながら生きています。それらの出来事の一つひとつに、“人間として生きる”ことを見失い、それこそ名ばかりの人間として生きている私たちの姿が浮き彫りにされています。その意味で、私たち一人ひとりが今本当に課題としなければならないのは、人間として生きるとはいったいどういうことであるのかを問い、そのことを確かなものとして自らに獲得することであると言えます。

 それでは、私たちが“人間として生きる”とはどういうことなのでしょうか。このことは私たちにとってわかりきったことのようにも思われますが、よくよく考えてみると、ずいぶん曖昧なことだと言わなければなりません。

 比叡山で仏道修行に励んでいた親鸞は、1201年29歳の時、その問いを抱えて東山吉水の法然のもとを訪ねました。自己を見失い苦悩する者が真に人間として生きる確かな道は、阿弥陀の本願を信じ、ただ念仏することのほかにはない。このことを親鸞は法然から教えられたのです。

 やがて親鸞は、その道の確かさをインド・中国・日本を貫く仏教の歴史のなかにさぐりあてることに自らの生涯を尽くしていきます。そこに発見したのは、人間として生きることを仏教に教えられていった無数の先人たちでした。親鸞は、それらの人々から仏教を依りどころとして生きることの大切さを呼びかけられ、導かれていったのです。親鸞は『教行信証』という書物を著すなかで、その全体を結ぶところに冒頭の道綽の言葉を引用します。これは後の世を生きる私たちに対する親鸞自身の呼びかけであると言えます。

 “人間として生きる”ことが課題とされる今、私たちは、改めてそれを仏教によって生きた先人たちに問いたずね、明らかにしていかなければならないのです。

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