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きょうのことば

きょうのことば - [2003年05月]

もろもろの法は原因から生じる。如来はそれらの原因を説きたもうた。

「もろもろの法は原因から生じる。如来はそれらの原因を説きたもうた。」
『律』「大品」『仏教聖典』山口 益編P.113

 ブッダの十大弟子のひとりにシャーリプトラ(舎利弗)がいます。シャーリプトラは始めから仏教に帰依した人ではありませんでした。彼はサンジャヤという人のもとで学んでいたそうです。サンジャヤは形而上学的問題について確定的な解答を避けたために、懐疑論者・不可知論者と呼ばれた人でした。懐疑論者といわれる人たちは、自分の経験を超えたような問題、たとえば、世界は永遠であるか永遠でないのか、人は死後存在するのか存在しないのかなどの問題に対して、判断することを中止したといいます。
 ブッダが初めて説法した相手は、五人の比丘であったといいます。その中にアッサジ(阿説示)という仏弟子がいました。シャーリプトラが仏教に帰依したのは、アッサジと出会うことがきっかけであったといわれています。王舎城という都市で、シャーリプトラはアッサジの崇高な姿を見て次のように尋ねます。

友よ、あなたは誰について出家したのですか。あなたの師は誰ですか。
あなたは誰の教法に同意しているのですか。

 アッサジは自分がブッダのもとで出家し、ブッダを師とし、その教法に同意していると答えました。シャーリプトラは、「あなたの師は何を主張する人であり、何を説く人でありますか」と問います。それに対して、アッサジは答えました。

もろもろの法は原因から生じる。如来はそれらの原因を説きたもうた。
またそれらの止滅をも説かれる。大沙門(ブッダ)はこのように説く人である。

 この世に存在するあらゆるものは、原因があって生じているのであり、また、それによって生じたものはやがて止滅する性質のものであるというのです。したがって、永遠に変わらない実体的なものがあるとは説かないし、だからといって虚無に陥ってしまうのでもありません。それは、あらゆるものが縁に依って起こり、縁に依って滅するという事実を示しています。シャーリプトラは、アッサジと出会うことでブッダが「縁起」の道理をお説きになる方であることを、初めて知ったのです。
 当時、懐疑論者であったシャーリプトラは、人それぞれに主観があり個性も異なっているのだから、ものの見方は相対的なものでしかないと考えていたようです。したがって、絶対的な真理などは知ることはできないと考えて、否定的な意見ばかりに終始していたのでしょう。しかし、ブッダに帰依したアッサジの端正な風貌と動作、そしてその教えに接して、舎利弗は心打たれたのでした。
 ものごとを判断しないことが自分の生き方だと思っていたシャーリプトラの中に、自分の日常と離れないところに確かな道理があるという自覚が芽生えました。その道理こそがブッダの説く「縁起」ということだったのです。

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