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きょうのことば

きょうのことば - [2003年03月]

すでにこの道あり。

「すでにこの道あり。」
親鸞『教行信証』<所引『観経疏』>(真宗聖典P.220)

 春の訪れを日に日に実感する季節を迎えました。この季節はまた、それぞれの人がさまざまな道へとその新たな一歩を進める季節でもあります。これから広がる歩みに心踊らせる人、必ずしも自分の意に添わない現実に直面して途方に暮れる人、それぞれの人がそれぞれの現実のなかで、期待や不安などさまざまな思いを持つことでしょう。
 この時期にいつも思われるのは、それがどんな現実であったとしても、目の前の現実のうちに自分自身が歩むべき道を見出し、その道を歩もうとする決断と意欲とを自らに確かめていくことの大切さです。
 冒頭の言葉は、中国の善導(ぜんどう)(613~681)が著した『観経疏(かんぎょうしょ)』に示される「二河白道(にがびゃくどう)の譬喩(ひゆ)」の言葉です。善導はこの譬喩を通して、自らの人生を真に積極的に生き抜こうとする決断と意欲が、いかなる状況にあろうとも、人間にとって何よりも大切であることを明らかにしています。      
 私たち一人ひとりの人生は必ずしも順風満帆なものではありません。引き返すことも、とどまることも、前へ進むこともできない、進退きわまる危機的な状況に直面せざるをえないのが人生であるのでしょう。けれども私たちは、どんな状況にあっても新たな一歩を踏みだしていくことができるのです。このことを、善導は「すでにこの道あり」という言葉で具体的に表現しています。そしてまた善導は、私たちが歩み出すべき確かな道とは、釈尊が明らかにした仏教にほかならないことを明らかにしています。
 私たちは、ともすると、自分の歩む道を目の前の現実を離れたどこか遠いところに追い求めてしまいがちです。そのためにかえって私たちは自分の歩みを立ち止まらせてしまってはいないでしょうか。
 私たち一人ひとりが歩むべき道は、決して「どこか」にある道ではありません。それがいかなるものであれ、自分が直面する現実のうちに、自らが歩むべき道を「すでにこの道あり」という頷(うなず)きのもとに見出していく時、真に積極的な人生が私の前に開かれていきます。仏教とは、私たちの歩むべき確かな「道」を教えるものであり、それを通して、私たちを支え、励ましている教えなのです。

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