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きょうのことば

きょうのことば - [2002年02月]

その生処に随いて意の所欲にあり。

「その生処に随いて意の所欲にあり。」
『仏説無量寿経』

 私たちは、自分の欲望を満足させることが生きることだと考えていないでしょうか。たしかに欲望が満たされたときの喜びは大きなものです。だからこそ、私たちはみな思い通りに生きることのできる世界を求めています。そして、そのためには力あるものにならなければならないと考えているのです。しかし、本当に思い通りに生きることができる世界などあるのでしょうか。それは幻想ではないでしょうか。
 私たちは、誰もみな例外なしに老い・病み・死んでいかなければなりません。また、他者とのつながりなしには生きることのできないものです。だから、絶対に思い通りにはならないのです。もし生きることが自分の思い通りになることならば、結局は、どのような所で生きることになっても、空しいということになってしまいます。そうではないでしょうか。実は、このような人間の事実を無視して、自分の思い通りに生きようとするところに、すべての空しさの根っこはあるのです。
 上にあげた「その生処に随いて意の所欲にあり。」という言葉は、親鸞が、真実の教えとして大切にした『仏説無量寿経』に出ているものです。「どのような所で生活することになっても、そこは自分が望んで来た所だと受けとめて積極的に生きる」ということを意味しています。
 ここで語られている「意の所欲」とは、「私たちが、本当に為したいと願っていること」という意味で、自分の思い通りにということではありません。そういう自分勝手な意欲というものではないのです。私たちが、老い・病み・死んでいく限りあるものであり、他者とのつながりなしには生きることのできないものであるという、私たちの生の事実に根を持つ意欲というものです。だから、それは、どのような自分であってもその自分を見捨てないで、また、どのような人とも共に生きようとする意欲なのです。
 その意欲に目覚めることは、思い通りの人生という幻想から醒めることです。そして、このような意欲に目覚めて生きることは、私たちが、本当に為したいと願っていることであるため、どのような所で生活することになっても、そこは自分が望んで来た所だと受けとめて積極的に生きることができると教えているのです。

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