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きょうのことば

きょうのことば - [2001年11月]

願わくは深く無常を念じて、いたずらに後悔を貽すことなかれ。

「願わくは深く無常を念じて、いたずらに後悔を貽すことなかれ。」
親鸞『教行信証』

 「明日があるさ」。最近のテレビCMやドラマで流行している歌の題名です。坂本 九さんが1963年に歌って大流行した「明日があるさ」の替え歌で、原曲が最初に流行したのは東京オリンピックの前年、高度経済成長の真只中のことでした。この頃「明日があるさ」は、明るい未来を予見する希望に満ちた言葉でした。しかし今、若者達が口ずさむ「明日があるさ」には、それとは違った空気が漂っているようです。
 不況・就職難・リストラなどの身近な問題から環境破壊や遺伝子操作の問題、そんな中あらたなる戦争へと向かう国際社会。何ひとつ問題が解決されないうちに、より大きな事件が勃発する現代。「明日があるさ」は、将来に夢を抱くことが出来なくなった若者達の心の叫びのようにも聞こえます。
 希望を抱く言葉であるはずの「明日があるさ」が、何となく悲しげな言葉に聞こえるのはなぜでしょうか。それは、行き先の見えない将来に不安を抱えた心の裏返しのようにも聞こえるからです。「明日があるさ」は、「明日が見えない」若者達の、どうしてみようもない「今」を紛らわす嘆きの言葉になっているのでしょう。
 ブッダは、自らのいのちの最後に臨んで弟子達に次のように言いました。「形あるものはすべて滅びゆく。怠ることなくつとめよ。」と。冒頭の『教行信証』の言葉も、このブッダの最後の教えにならうものです。「いのちの無常を深く心にとどめて、後悔のない人生を歩んでください」という願いを表しています。
 「無常」と聞くと、むなしさを感じてしまうかも知れません。しかし、この「深く無常を念ずる」とは、「今」を大切にしてほしいという言葉なのです。どのような出来事であれ、すべては無常の人生の一場面です。だからこそ、あらゆる出来事は同時にたった一度の出来事であり、すべてがいのちの大切な一瞬なのです。自分の意に添うことも、意に添わないことも、それでも光り輝くようないのちの一瞬一瞬の出来事なのです。
 「明日」は、自分の希望通りの明日ではないかも知れません。その意味で明日に対する不安は、拭うことはできません。しかし、そんな先行きが見えない中を生きる者であればこそ、光り輝く「今」を大切に生きてほしいのだと、この言葉は教えてくれるのです。

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