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きょうのことば

きょうのことば - [2001年08月]

真の朋友は宗教的根拠に立つものでなくてはならぬ。

「真の朋友は宗教的根拠に立つものでなくてはならぬ。」
清 沢 満 之

 「朋友」とは、「とも」や「仲間をなすもの」を意味します。人間とは、文字通り人と人との間に生きる存在です。そのため、人と人、自分と他人との間を結ぶ「とも」を多く持つことが大切であるとされ、互いに助け合い励まし合える仲間を多く持つことがその人の人生をより豊かにするものと考えられています。
  しかし「とも」は、時には人を悩ませ苦しませる原因にもなります。近年、特に青少年の間では、友だちを巡って様々なトラブルが起こり、時には命にも関わる悲惨な事件へと発展することがあります。「仲間はずれ」や「いじめ」の問題は、「とも」をもった途端に子供たちを襲う、恐ろしい現実であります。
 「とも」が、人と人の間を結ぶものであることは確かです。しかしこの関係は、必ず何かを共通の根拠として成立しています。同郷であるとか同窓であるとか、あるいは趣味を同じくするなど、何か共通する根拠に支えられながら「とも」は成立するのです。このことは、「とも」が、人と人との関係を結ぶものであると同時に、自分たちと違うものを外に見出すことによって成立するものであることを示しています。仲間とは、根拠を共有しない存在を外に多く作り出すことによって、ますます内に結束力を増していくという性質をも持つのです。このため異なる2つのグループ間での悲惨な争いは、絶えることがありません。
 清沢満之は、真の朋友は宗教的根拠に立つものであると言います。そしてその宗教的根拠を「絶対無限を信憑(しんぴょう)すること」であると言います。同窓や同郷など、常に「相対有限」な条件を「とも」の根拠とする私たちに、いつでも何処でも誰の上にでも、その人を繋(つな)ぐものとしてはたらく絶対無限を根拠とする関係を見出してほしいと言うのです。
 「絶対無限」を、清沢は「無限の慈悲」「無限の智慧」であると言います。これは、私たちの生存そのものを根底で支えるはたらきを意味します。私たちは、無限の智慧と無限の慈悲に支えられて存在しています。そのことに私たち一人一人が気づくとき、人間は互いに尊重しあえる真の朋友となれるのです。生まれ・環境・性・地位・信条など、あらゆる相対有限なものを異にしようとも、その一点で人間は「真の朋友」と呼ばれる本来の関係を見いだせるのです。清沢は、この「とも」の関係を、「永久不変」なものだと言います。人間関係に悩み苦しむ私たちに、見出すべき本来の関係を教えてくれるのではないでしょうか。

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