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きょうのことば

きょうのことば - [2001年03月]

一色一香も中道にあらざることなし

「一色一香も中道にあらざることなし」
智顗(ちぎ)『摩訶止観』(まかしかん)

 仏教が後漢の時代に初めてインドからもたらされて以来、中国には多くの優れた仏者が生まれました。その中で今日までも大きな影響を与えてきた人物として、隋の時代に天台宗を開いた智顗(538-597)をあげることができます。智顗は壮大なスケールの仏教思想家であるとともに、 卓越した実践家でありました。その著作の中には経典の注釈書や仏教を思想的に解明した論書などとならんで、禅定(ぜんじょう)(仏教の瞑想)について詳しく説いた書物も多くあります。特に「止観」という瞑想法を組織的に論じた『摩訶止観』は、智顗の代表作として古来から大切にされてきました。
 『摩訶止観』のなかで、智顗は深い禅定体験の中から見い出した独自の思想を展開しています。私たちは普段、日常的に接するあらゆる人や物は実在すると考えて疑いません。しかし智顗は、すべての法(存在)には実体がなく、仮に存在しているにすぎないと論じます。彼はこのようなあらゆる存在の真の在り方を「円融三諦」(えんゆうさんたい)と呼んでいます。ここでいう三諦とは空・仮・中(くう・け・ちゅう)のことです。智顗によると、すべての法は実体的に存在するのではなく、縁起の法則によって様々な因や縁により成り立っているにすぎません。この側面を捉えて、諸法は「空」であると説かれます。しかし諸法は因や縁の和合により仮に存在するので、「仮」という側面も持っています。さらに諸法は空・仮の両側面を兼ね備えているので、その側面を「中」として表現しています。つまり諸法には空・仮・中の三側面がありますが、「円融三諦」とはそれらの三側面がすべての法に同時に備わっていることを示す言葉です。
 冒頭に挙げた言葉は『摩訶止観』に見られるものですが、それは『摩訶止観』の円融三諦思想の真髄を示すものとして、しばしば取り上げられてきたものです。仏教では「色」(しき)は目に見えるものであり、「香」(こう)は鼻によって嗅がれるものと定義されています。つまり、ここで「色」と「香」は一々の具体的な物を代表しています。そして「中道」とは、空にも仮にも片寄らない、「円融三諦」として語られる諸法の真実の姿を意味します。言い替えれば、この言葉は私たちの出会うすべての物や出来事は、そのまま真理の現われである、ということを表わしているのです。いかなるときでも、いかなる境遇に置かれていても、われわれの周りには真理が輝いている、と智顗はこの言葉を通じて私たちに語りかけているのです。

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