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生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [304]

開化

「開化」
一楽 真(教授 真宗学)

 人間とはつくづくやっかいな生き物だと思う。これまでの歴史を見ても、今度こそは良い国になるようにと、いつでも願いながら生きてきた。あえて悪い国を欲する者などいなかったであろう。

 ところが、科学技術が進歩し、文明が発達したことに比例して、本当に良い国が実現したかと問われると、単純に肯定はできない。かえって問題が複雑になり、不安を抱えて生きることを余儀なくさせられているのが現代人ではなかろうか。

 今では古い言葉になってしまった「文明開化」。ここに言われる開化は、もとは開化(かいけ)と読む仏教語である。人の心を開き導く仏の教えのはたらきを意味する。自分の考えに閉じこもっている在り方を開いていくはたらきのことである。

 明治という新しい時代を迎えた時、西洋文化の流入にともなって、人々は未来に大きな期待を寄せた。そのような時代の空気の中で、「文明開化」は華やかで明るい未来を予感させる言葉であった。すべてが開けゆくように見えていたのである。実際、社会の体制や制度から日常の暦、服装に至るまで、すべてが改まった。まさに「一新」と呼ばれる時代であった。

 ただ、どんな新しいものでも時間がたてば古くなる。目新しいものも慣れれば飽きてくる。前の方が良かったということすら起きる。開けたはずの未来も、新たな問題を抱えることをまぬがれないのである。

 開化の語には文化が開けてゆくことへの期待がともなっている。しかし、文化が開けるとは決して人間の思い通りを追求していくことでないはずである。思い通りを追求する先に本当の安心はない。便利なことのみに価値を置けば、不便なものは嫌がられる。役に立つことを重視すれば役に立たないものは捨てられる。しまいには人の命でさえも、価値の有無で計られることになる。それが閉じられた生き方である。

 開化とは、閉じられた生き方に開け(ひらけ)がもたらされることだ。思い通りを追求する生き方が破られ、ものの見方が開けることである。思い通りにならずに行き詰まった時、それはこれまでの生き方を問い直す契機なのである。

(『文藝春秋』2012年2月号)

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