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生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [282]

発心

「発心」
Robert F. Rhodes(教授 仏教学)

 「発心」を辞典で引くと、まず「思いたつこと」とあり、次に「出家して仏門に入る」、さらに「菩提心を起こすこと」とあります。

 このなかで最後の定義が、この言葉の本来の意味であることは言うまでもありません。菩提とはサンスクリット語のbodhi(ボーディ)の音写で、「悟り」を意味します。よって「菩提心を起こすこと」とは、「悟りを求める心を起こすこと」なのです。大乗仏教では仏の完全な悟りを求めて修行するものを菩薩といいますが、発心すること—つまり悟りを求める心を起こすこと—こそ、菩薩の修行の第一歩と位置付けられているのです。

 では菩提心とはどのような心でしょうか。中国天台宗の智顗は、『摩訶止観』のなかで、菩提心を起こすことは具体的には四弘誓願を起こすことであると述べています。四弘誓願とはすべての菩薩に共通する願いのことですが、それらは(一)衆生無辺誓願度(この世に生を享(う)けたものは数限りなくいるが、一人残らず救うことを誓う)、(二)煩悩無量誓願断(煩悩は無数にあるけれども、必ずそのすべてを断ち切ることを誓う)、(三)法門無尽誓願知(仏の教えは果てしなく深く広いが、必ずそのすべてを知ることを誓う)、(四)無上仏道誓願成(この上ない悟りに必ず到達することを誓う)というものです。

 当然、菩薩は仏の教えを学び、煩悩を断じて悟りを得ようと修行に励みます。しかし、菩薩の修行にはもうひとつ大きな特徴があります。それは自分だけが悟りを得ればよいとは考えず、すべての人々が悟りを得るまで自分も悟りを得ず修行を続けると誓うことです。その意味で四弘誓願の中で、最初の誓願が最も重要なものになるのです。言い換えると、すべての人々が悟りに到るまで共に歩み続けるという決意が、菩薩の発心の中核なのです。

 最近は人々の絆が希薄になり、孤独死などが増加して大きな社会問題となっています。このような時代にこそ、菩薩の発心に象徴されるような、すべての人々と歩みを共にしてゆく姿勢が求められているのではないのでしょうか。

(『文藝春秋』2010年4月号)

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