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生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [267]

貪欲

「貪欲」
Robert F. Rhodes(教授 仏教学)

 米国のサブプライムローン問題やリーマン・ブラザーズの破綻に始まった金融危機は、世界に大きな影響を与え、経済的にも、精神的にも、私たちの生活に暗い影を落としている。急激な株価の下落や円高、企業の収益悪化など、日本の将来にも不安を懐かせることばかりが続いている。
 金融危機の原因については様々に論じられているが、その根底には、やはり人間の飽くことのない欲望が渦巻いていたことは間違いないであろう。
 そもそも仏教では、欲望を迷いの根源と考える。仏教教団の規則を定めた律蔵には「比丘たちよ、すべては燃えている…貪欲(とんよく)の火によって、瞋恚(しんい)の火によって、愚痴(ぐち)の火によって燃えている」というブッダの言葉が残されている。ここでいう貪欲(貪り)・瞋恚(怒り)・愚痴(無知)は「三毒」と呼ばれ、人間の持つ三つの根本煩悩と定義されているが、そのなかでも貪欲は、サンスクリットではragaといい、自己の欲したものを、次から次へと貪り求める激しい欲望を意味している。その対象は家や財産のような物質的なものに限らず、愛欲の対象になる人、名誉や権力、さらには自己の生命なども含まれている。これらの欲望の対象に固執して、駆り立てられるように追い求める深い執着心こそ、迷いの根源であると仏教は教えるのである。
 当然、迷いを超えてゆくためには、貪欲から自由にならなければならない。初期の仏教経典の一つである『スッタニパータ』には、「一切のものは虚妄であると知って貪りを離れる人は、蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るように、この迷いの世界から抜け出すことができる」と説かれている。そのためには、少しでも貪欲を減らす努力が必要であると示されている。
 暴走する人間の欲望を容認するばかりか、それを原動力としてきた近年の世界経済。その結果、限られた人々に巨大な富が集中する一方、貧困と飢えに苦しむ人々が世界にあふれる状況を生み出してきた。今こそ、欲望に囚われた自己の姿を直視し、その反省に立って、すべての人々が共に安心して生活できる新たな世界を創造する時ではないであろうか。

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