生活の中の仏教用語 - [258]
「七宝」
沙加戸 弘(さかど ひろむ)(国文学 教授)
「七宝を集めたように美しい」の意で名となった七宝焼は、中国では琺瑯(ほうろう)、西洋ではエナメルと称する。
古く奈良・平安の昔にその技法が伝えられた美しい装飾品で、銅・銀などを基盤として、ガラス質の釉(うわぐすり)で模様を作り高温で焼く。現代生活の中でよく見かける装飾品であるが、名の元となった七宝は、仏典に説かれる七種の宝石である。 七珍とも言い、漢・魏・唐・宋と時代により国によって若干の相違があるが、鳩摩羅什(くまらじゅう)の訳による『仏説阿弥陀経』は、極楽浄土の荘厳を、
楼閣あり、また金(こん)・銀(ごん)・瑠璃(るり)・玻瓈(はり)・硨磲(しゃこ)・赤珠(しゃくしゅ)・碼碯(めのう)をもってこれを厳飾(ごんじき)せりと説く。この「金・銀・瑠璃・玻瓈・硨磲・赤珠・碼碯」が七宝である。
瑠璃は青色の玉(ぎょく)、玻瓈は水晶、硨磲は白い珊瑚または美しい貝殻を言う。赤珠は赤い真珠で、碼碯は今の碼碯ではなく、エメラルドである。
まことに珍重すべきものとして、はたまた富貴の象徴として、七宝・七珍の語は我国の表現の中に深く広く根をおろしてきた。
七珍万宝一つとしてかけたることなし (『平家物語』)閻魔の庁にも浄玻瓈の鏡、あるいは童謡にも「瑠璃や真珠の飾窓」(「夢のお馬車」※)とある。
七珍万宝の満ち満ちて (御伽草子『文正草子』)
が、仏の教えはこの七宝を美しいもの、貴重なもの、と説くだけではない。七宝で造られた牢獄がある、と説く。
七宝の宮室(くしつ)あり(中略)繋(つなぐ)ぐに金鎖(こんさ)をもってす (『仏説無量寿経』巻下)これは、まごうことなき現代の我々の姿ではないだろうか。今我々の心を鷲摑みにしている「かね」は、人のいのちにもかわる程の力を持ってきた。
生活の便利さ、衣装の華やかさ、住居の快適さ、はたまた食卓に並ぶ食品の量と種類と国際性の豊かなこと。我国の先達、どの時代、いづれの人も可能ではなかっただろう。
ぼつぼつ、これは七宝の牢獄である、と気付くべき時であろうか。
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