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生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [229]

法螺

「法螺」
木村宣彰(きむら せんしょう)(仏教学 教授)

 暑い夏の選挙も終わり、これからは公約実行の季節である。もし選挙公約のマニフェストが履行されないようなことがあれば「政治家の言うことは、ホラばかりで信用できない」ということになるだろう。国民の信頼を失うことがないように願うばかりである。
 事実無根のいい加減なことや、事実を誇張して語ることを俗に「ホラを吹く」という。邦題『ほら男爵の冒険』で知られる『ミュンヒハウゼン物語』は、十八世紀のドイツに実在したミュンヒハウゼン男爵(1720-97)の「ホラ話」である。ところで一体「ホラ」とは何か。
 大きな巻貝に穴を開けて吹き鳴らす道具が法螺である。その法螺を作る貝を法螺貝と言うのである。古代インドのサンスクリット語でサャンクハ(sankha)というように、昔から世界各地で吹奏や合図のために用いられた。日本の法螺は密教僧によって唐から伝えられ、真言宗や天台宗の法会や東大寺のお水取り(修二会)で儀礼の一つとして吹奏される。山伏の携える道具として知られるが、これを山中で吹くのは野獣を追い払うとともに魔を退けるためである。
 法螺は正しくは「ほうら」であり、「ほら」は発音の略である。『無量寿経』には「法鼓を扣き、法螺を吹く」、『法華経』にも「大法螺を吹き、大法鼓を撃ち」とある。『心地観経』には「大法螺を吹いて衆生を覚悟して仏道を成ぜしむ」と説く。このように「法螺を吹く」とは「仏の説法」のことである。経典の中で「殻の音が遠く聞こえる。以て仏の説法に喩える」と、その意味を説明している。
 本来、「法螺を吹く」のは仏であるが、今は凡人が「ホラを吹く」ようになった。われらが仏の説法を真似て立派なことを語っても、所詮は実行が伴わない。そこで言行不一致の演説が「ホラ」になり、「ウソ」になったのであろう。因みに「演説」もまた元は仏教語である。
 今年は戦後六十年という節目の年であるが、あのヒトラー(1889-1945)の帝国も、正当な選挙と巧みな演説に因って成立したことを忘れてはならない。悲劇は独裁者の「ホラ」から始まったのである。

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