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生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [218]

雪山

「雪山」
神戸 和麿(かんべ かずまろ)(教授 真宗学)

 雪山はヒマラヤ山の異称、大雪山のことである。ヒマラヤ山はサンスクリット語でhimālayaと綴り、ヒマ(hima)とは雪のこと、アーラヤ(ālaya)は貯蔵の意味で、この二つが合わさり、常に雪を蓄えているので雪山という。その中、最高峰はエベレストであり、登山隊が断崖絶壁の岩場を滑り落ちないように一歩一歩踏みしめつつ登っていく光景を思い起こす。雪山とはそのような厳しい環境と清らかさを象徴する言葉である。
 『涅槃経』「聖行品(しょうぎょうぼん)」に雪山童子の物語がある。童子が人生にさ迷い道を求め雪山で修行していると、どこからともなく清々しい声が聞こえてきた。「諸行無常 是生滅法(諸行は無常なり、是れ生滅の法なり)」、この偈を聞いて童子は大きな歓びを感じた。あたりを見渡してみると、一匹の羅刹(らせつ)〔鬼〕がいた。まさかこの羅刹ではあるまいと思いつつも、「いまの偈はあなたが頌(じゅ)したのか」と聞くと、羅刹は「その通りだ」という。さらに「後(のち)の半偈を教えてもらえないか」と童子は願う。羅刹は、「いま私は空腹で説けない、私に食物をあたえよ。驚いてはならない。私の食物はあいにく人の肉であり、温い血である」という。これに対し童子は「この身をあなたに捧げよう」と答え、後の半偈を聞く。「生滅滅已 寂滅爲樂(生滅滅し已(おわ)りて、寂滅を楽と為す)」、童子はその偈文をあちらこちらの樹木にしるした後、木に登り、まっさかさまに身を投じ、我が身をもって供養した。そのとき羅刹は帝釈天に転じ、その童子を空中で受け、「あなたこそ真の道を求めるひと、求道者である」と讃えた物語である。
 この物語の内実は『いろは歌』にも見られる。「色は匂えど散りぬるを、我が世誰ぞ常ならむ、有為の奥山今日越えて、浅き夢みじ酔いもせず」というように、仏教の真意が日常生活にわかりやすく教えられている。
 これらの物語や歌は、<生>に酔ったような日常的な惰性、怠惰を超える<死>の自覚を契機として、本当の命を知れと教える。清冽な水のような流れ、朝ごとに新しい命の恵みに目覚めて生きよと教えていはしないか。

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