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生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [212]

白道

「白道」
神戸 和麿(かんべ かずまろ)(教授 仏教学)

 白道(びゃくどう)とは三國連太郎が親鸞の生涯を映画化した作品『白い道』の題名でよく知られる仏教のことばである。それは唐の時代に生きた善導の『観経疏』の中に<二河の譬え>として示されている。
 その譬えには、瞋恚(しんに)〔いかり〕の火の河と貪愛(とんない)〔むさぼり〕の水の河が左右にあり、その中央に白道があるとされる。ひとりの旅人が白道、すなわち真実の道を求めて行くとき直面するのは、さきの二河である。ここでの火の河とは人を破壊活動へ向かわせる煩悩の火を示し、水の河とは我が身可愛いという自己中心性、自己愛の煩悩の河に沈んでいくことを示す。この譬えは、旅人がその二つの河のどちらにも沈むことなく、一筋の白道を歩まんとする姿を我々に示す。
 私は、人間が求める道を<白い道>と表現するとき、宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』という作品を思う。ひとりの少年ジョバンニが人生の寂しさ、孤独の想いのなかで、天(あま)の川の星座、南十字星へと銀河宇宙を旅していく。その物語は、白・黒の色合いによって、人のこころ、精神のありさまを示している。白い乳の流れた跡だといわれる白い天の川は、ひとつの理想郷、いのちの故郷を表し、黒い夜とは、人生の謎、暗夜を示す。白・黒の色合いで描く精神の模様、そのことは“白”という描写によって人の生きる明るさ、喜び、人との信じ合いのこころ、また“黒”という描写によっては、人の世の寂しさ、悲しみ、人への疑い、また死への生のおそれ、闇を示している。ジョバンニは、生きること、幸福とは何か、そのことに煩悶しつつ銀河鉄道の夜を旅していく。最後には一緒に歩いた親友カムパネルラとも別れ、人生の孤独、さ迷いの中で、ひとりぼっちになり、ジョバンニは夜空を祈るように仰ぐ。「お前はもう夢の鉄道の中でなしに、本統の世界の火や、はげしい波の中を大股にまっすぐ歩いていかなければいけない。」(注1)という天の声を聞く。揺れ動くこころのなかで「僕きっとまっすぐに進みます。きっとほんたうの幸福を求めます。」(注2)と誓う。
 白い道、白道への歩みは、私たちに人生の悩み、不安、人と人との葛藤、煩悩を越えていくほんとうの道を見出せと教えていはしないか。
*注1・2 『【新】校本宮澤賢治全集第十巻 筑摩書房』

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