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生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [182]

暗証

「暗証」
木場 明志(きば あけし)(教授・日本近世近代宗教史)

 「あなたの暗証番号は安全ですか? 」「生年月日、電話番号など、他人に簡単に推測できる数字は、カードの盗難、紛失時に悪用される危険性が高いので、必ずご変更下さい。」
  昨今お世話になることが多い暗証番号。private identification number の訳語と思われ、本人だけが知っている数字や記号を指す。
 暗証は仏教語である。禅家(ぜんけ)で用いるところでは、経論(きょうろん)の理解や研究を軽視し、座禅などの実践だけで悟りに到達できるとすることをいう。
 「暗証の禅師(ぜんじ)」とはそうした立場の者を斥(しりぞ)ける用語である。

    文字(もんじ)の法師、暗証の禅師、たがいに測りて、
    己(おのれ)にしかずと思へる、共に当らず。(『徒然草』)

    稽古年をつみても、誦文(じゅもん)法師、暗証禅師あるべし。(『さゝめごと』)

経論の字句解釈にばかり拘泥する者(文字法師)、あるいは呪文のように経文を読むばかりの者(誦文法師)と共に、真には仏法を悟っていない者として批判される。仏道の最終目的である安心(あんじん)解脱(げだつ)を忘れた立場として、嘲りの対象にまでなっているのである。
 暗証禅師の暗の文字は、見えないところでの「本人だけが…」という用法において、暗証番号と通ずる。暗証による偏った生き方が批判されるのは当然である。しかし、より批判さるべき点は、思い込みによる身勝手窮まりない増長にあると思う。
 自分らしさがもてはやされる近時であるが、それは本当の自分なのであろうか。人間の探究を、先人の書や知恵・理解に謙虚に学ぶことが先ず必要ではないか。我々の生は、他を批判するばかりでは何も残さず、自己を主張するだけでも思い上がりに過ぎない。先掲の『徒然草』(一九三段)は次のように結んでいる。

    己が境界にあらざる物をば、あらそふべからず、是非すべからず。

 パソコンのパスワードを手はじめに、社会は自分でも覚えきれないほどの各種の暗証を求めて来る。暗証は自分勝手なものである。自己の本質を磨き上げる精神の営みを、同時に大切に進めようと思う。

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