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生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [158]

下品

「下品」
一楽 真(いちらく まこと)(講師・真宗学)

 「げひん」と読めば、品のないことを意味する。これは言葉づかいや服装などをめぐって、今でも日常的に用いられている。
 ただ、「げぼん」と読むと、意味は異なってくる。もとは『観無量寿経』という経典に出る言葉で、浄土に往生する者を、その生き方に応じて、上品・中品・下品に分けたものである。
 いくら外面を整え、言葉づかいに気をつけていても、それは上品(じょうぼん)とは言わない。仏の教えにどれほど誠実であるか、これが上品と下品の分かれ目である。
 どんな命も決して傷つけない、人を自分の都合で利用しない、決して人をだましたり欺いたりしない。これらが仏の教えに生きる最初の出発点である。
 現代は経済効率を優先し、環境破壊を繰り返し、命までもが利用価値で計られるようになっている。仏の教えからは、全くもって遠いと言うほかはない。上品どころではない。お互いに傷つけあう生き方は、まさに下品そのものである。
 ところが、特にこの下品に注目した人がいる。親鸞である。それは下品の姿に、偽らざる人間の現実を見たからであった。お互いに傷つけあいながらも、なお、人として生きる道はあるのか、これが親鸞の抱えた問いであった。
 下品の者は下品としての愚かさを教えられて、はじめて生きることの悲しみを知る。そこに、仏の教えをより所として歩んでいく人生が始まるのである。
 親鸞が「悪人成仏」を主張する根拠もここにある。それは、悪人でも良いのだ、と開き直ることではない。それならば今流行の言葉でいう「逆切れ」にすぎない。
 お互いに傷つけ合うことの愚かさを知るが故に、いよいよ仏の教えを聞いていくのである。その教えを通して、自分を見つめ、この世の在り方を問うていく眼を得るのである。これは、自分が上品か下品かとこだわるよりも、もっと大事なことである。

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