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生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [141]

方便

「方便」
小野 蓮明(おの れんみょう)(教授・真宗学)

 “嘘も方便”ということがある。嘘はよいはずがないが、物事を円満におさめ、迷いからめざめさせるために、時には必要な場合もある、というほどの意味であろうか。
 「方便」はウパーヤの訳で、近づく、到達する、巧みなてだて、便宜的な手段や方法という意味をもつ。仏が衆生をさとりへと導くためのてだてとして説かれた教えの意味で、真実に裏づけられた、仏の衆生教化の方法・はたらきをいう。
 人間ひとりひとりの機根、すなわち性質や能力は、けっして一様ではない。人それぞれの機根にしたがって、教え導く仏のすぐれた智を、方便智といい、そのはたらきを善巧(ぜんぎょう)方便という。仏教では、方便は虚言ではなく、あらゆる人をさとりへと導くすぐれた教化の方法であり、仏のもっとも具体的なはたらきである。あらゆる手段をめぐらして、人びとを真実の仏道に引き入れることを、方便引入といい、また真実の道に導入するために設けられた教えを、方便仮門というのである。
 方便にはさらに、すべての形や相を超えた究極的な真理であるダルマ(法)が、人びとを救うために自ら形相をとって、はたらきでるすがたを意味する場合がある。親鸞は『一念多念文意』で、

「方便ともうすは、かたちをあらわし、御(み)な(名)をしめして衆生にしらしめたまうをもうすなり。すなわち阿弥陀仏なり。この如来は光明なり。光明は智慧なり。智慧はひかりのかたちなり」
といっている。
 方便は、真実に対する仮を意味するのみでなく、真実そのもののはたらきである。阿弥陀仏も、南無阿弥陀仏も、われらを如来の真実界にあらしめようとはたらく、方便法身、すなわち具体的な相として顕された仏そのものである。方便は、世間にはたらく仏の智慧であり、無明を破って、光の世界にあらしめる智慧のはたらきである。
 仏の大悲方便のはたらきに喚びさまされて、真実の世界に、しっかりと眼を開いて生きるものとなりたいものである。

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