生涯学習講座

2010年度受講講座
『カフェで哲学2 変容する宗教—現代社会と「見えない宗教」—』

2010年度講座受講生/宮川惠さん

『哲学』を辞書で調べると「世界・人生・事物の根本原理を究める学問」とある。なんと堅苦しく難しいイメージであろう。私と哲学との出会いは大学時代「キルケゴール」と「アウグスチヌス」を勉強??したこと。そしてこの講座を受講するきっかけは、お手次(※ 注)の住職が読まれていた「キリシタンが見た真宗」という本との出会いでした。

今回の講義で一番心に響いたのは〔Be careful for what you wish for, you just might get it.〕【訳…本当に自身が求めたものかをじっくり見据えよ!一局面から見るな!】倫理にも道徳にも通じる言葉で今の人間社会が忘れてしまいかけている言葉のようにも聞こえました。
  

情報化時代の昨今、一面的な考え方・捉え方により思考力の単純・単略化が叫ばれ、近代化・合理化・世俗化により宗教離れがおこり、大変危険と言われる新興宗教が台頭してきている。仏教は永遠不変の我という原理をたてず法によって現実の世界が成立っていると理解し、キリスト教は宇宙や人間を創造し支配する唯一神、人格神の存在を認める。このように仏教とキリスト教の違い、倫理観と道徳観の違い、道徳を宗教と捉える「果して宗教はどこへ行こうとしているのか。」最後に残された課題であった。

昨年・今年と計6回の講義は広く一般的に分かりやすい講義内容であり、終了後に行われたディスカッションは新しい試みであった多種多様の意見が出され、時間の経つのを忘れる程、発言があった。真宗でおこなわれてきた「講」のようであり大変興味深いものでした。是非次回もこのような講座を期待しています。

※ 注
お手次(おてつぎ):語源は、法然上人が二祖聖光上人に、「一器の水を一器に移すが如く」に浄土の教えを伝えられていること、さらに二祖聖光上人が三祖良忠上人に御伝法された『末代念仏授手印』の末尾には、『念仏往生浄土宗血脈相伝手次事』とあり、その最後には、『よって秘法を録するの状、手次(てつぎ)をもってす』と結ばれ、次から次へとお念仏のみ教えを継承していく姿を「手次」と示されていることに拠ります。(知恩院ホームページから引用)