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OTANI TALK

2015

仏教学科 p.03


このページに掲載している情報は、取材当時(2014年度)のものです。

03:宗教はすべて物語で話される

釆睪:漢文をやりたかったということだけど、どこが魅力なの?

三谷:漢字が好きなんです。逆に言うと英語が大嫌いです(笑)。本当に英語がやりたくなくて、勉強するなら日本に関連のあるものに絞ろうと思って、漢文は日本のものではないけど大体わかるような気がするので、これを極めていけば楽しいんじゃないかと思いました。

釆睪:そういう興味のきっかけは大事にしたいですね。それを突き詰めていったら最初とは全く違うところに行けるかも知れません。僕は最初、文学科に入ったんです。しかも、僕も語学が嫌いだったから、日本文学を選びました。さらに、古文や漢文を避けて、明治時代あたりも旧仮名遣いがあるから嫌で、……そうして消去法で選んでいって、結局は現代文学を研究したんです。ところが今はまさに語学というような漢文をやっています。

三谷:漢文って結構仏教に関係してきますよね。

釆睪:してきますね。仏教っていろいろな言語で伝えられてきているけど、漢文のものが質も量も最高です。

釆睪先生の研究室 三谷:私は文字が好きなんです。頭には入りませんけど、ただ辞書を見るだけというのも好きで。本を読むんだったら、ミステリーや物語が好きです。漢文的な要素のあるものとしては『項羽と劉邦』のようなものしか読んでいなかったので、これから読めるかな、と思っています。

釆睪:物語か。面白いことに宗教って、理屈の積み重ねではなく物語で伝えられるんですよ。物語でしか伝えられないことがあるんでしょうね。いろんな時代や民族を超えて多くの人が「それって良いよね」と共感した話が、おそらく仏教だろうと思うんです。経典を読んでいると「かくの如し」というフレーズが繰り返されるんだけど、それって「そうだよね」って「あるある話」で盛り上がっているんですよ。

逆に言ったら、物語として伝えられたものには宗教的な側面があると見ることができる。だから三谷さんが本を読んで「こんな世界があるんだ」ってその世界に惹かれたら、それはある意味で宗教的世界に惹かれたと言っても良いかもしれない。そう考えると、面白いと思った本は追求してみると、視野が広がると思います。

対談の様子

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