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そして、教壇へ。~彼らと教職支援センターの日々~

先生になるにはどうすればいいですか?2017

(9) 中村 健介さん

特別支援学校での濃密な時間が、教師としての覚悟と責任を確固たるものに。(中村 健介)[2013年3月 文学部教育・心理学科卒/2017年度 京都府教育委員会採用(特別支援学校)]

きっかけは、大学2年次に介護体験で訪れた特別支援学校だった。「こんな教育、こんな学校もあるんだな。もう少し見てみたい」と、ボランティアを始めた。当時はまだ、将来の目標を明確に定めていたわけではない。「何となく興味があった」程度だった。
しかし、4年次のときのちょっとした経験が中村の心を動かした。支援をしていた子どもが、調理実習で作ったカップケーキを「先生にあげる」と中村に手渡してくれたのだ。その子どもがそんな風に他人に声をかけることは珍しいと言う。現場の先生から「普段はこんなことしないのに。中村くんがいつも温かく見守ってくれてるからやと思うで」と声をかけていただいたとき、「ズドン」と矢で射貫かれたような感動を覚えた。

自分の対応や思い込みを猛省し、これまでのすべてを見直した出来事。

卒業後は、特別支援学校教諭免許を取得する勉強のかたわら、京都府の支援学校で4年間講師を務めた。特別支援学校とは、教育の場であると同時に福祉の現場にも近い。教員たちの業務は多岐にわたり、当たり前だが決して楽な仕事ではない。
「自分の身の回りのことをすることが難しい子どもたちもいますから、生活面での介助や支援をすることも日常です。僕の周りには『自分には無理』って言う人もいましたね。でも僕はまったく気になりませんでした」
「何とかなる」と、すぐに気もちを切り替えられる性格のためか、中村はこの学校にどんどん溶け込んでゆく。さらに、どんなに忙しくクタクタに疲れて家に帰ってきても、必ず机に向かって勉強する時間を作った。採用試験の模擬授業では、手話を取り入れる工夫もおこなった。頑張ることができたのは、特別支援学校での仕事に確かなやりがいを感じていたからだ。
ところがあるとき、中村の思いと自信を揺るがす出来事が起こる。担当していた1人の子どもとの間で、少しずつ気もちがすれ違い始めていることに気が付いたのだ。「様子がおかしい…」、中村は青くなった。福祉機関や医療機関、保護者の方とも毎日連絡を取り合い、付きっきりで支援にあたった。
「これまでの僕の対応や支援、コミュニケーションなどが、実はお互いの中で積み上げられていなかったんです。きちんとその子自身を捉えられていなかったんだと猛省しました」。自責の念が中村を追い込み、気がつけば体重が5kg落ちていた。
そこからは、何もかもすべてを見直した。ゆっくりと時間をかけ、ペースを合わせて1から生活を作り直すことに。専門知識を持つ先生の協力も仰ぎ、数カ月間毎日子どもの言動を記録して、ひたすら向き合った。特別支援学校では、すぐに成果が出ることはめったに無い。半年後か、数年後か、何回でも繰り返して根気強く土台を築いていかなければならない。「特別支援学校の教師になる」、本物の覚悟ができたのはこのときだ。

運動会の企画や楽しいイベント。その輪の中心に中村あり!

教育・心理学科1期生として入学した中村には、よく一緒にバカをやってくれる友だちがいる。「休みの日は男4人で旅行に行ったり、コロッケを何個食べられるか競争したり(笑)。今でもすごく仲がいいですよ。谷大に来て1番良かったのは、友だちに恵まれたことかな」

コロッケの大食いに挑戦!

また、教育・心理学科の先生方にも相談しながら、仲間たちと学科をあげての運動会を企画したことも。卒業式では学科生だけの謝恩会を、同期の結婚式では同窓会を兼ねた二次会を開き、常に中心的な存在として活躍してきた中村。物怖じしない明るさと行動力こそが彼の真骨頂だ。そして4年間の講師経験により、途中で投げ出さない責任感も身に付けた。
この春からは正規採用が決まり、さらなる強い意志と信念が求められる。でも大丈夫。「もっと、もっと」と前進姿勢を崩さない中村ならば、どんなことも乗り越えていけるに違いない。

親友たちとの思い出

「何をするにもいつも一緒でした」という仲間たち。彼らとの友情は中村の財産だ。

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