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そして、教壇へ。~彼らと教職支援センターの日々~

先生になるにはどうすればいいですか?2017

(6) 竹林 霞さん

ひたむきさが実った経験を力に。多くの人の支えで、地方の孤独な戦いに勝利。(竹林 霞)[2017年3月 文学部教育・心理学科卒/2017年度 香川県教育委員会採用(小学校)]

「これが現場なんやな」。大学3年次になり、学習支援のボランティアに行った先の小学校で竹林は実感した。担当したのは小学4年生、難しい年頃である。しかもそこには、授業中に寝ている児童、教室に入らない児童、癇癪を起こし暴れる児童もいた。竹林自身も服に黒板消しを投げ付けられたり、顔にペンで落書きをされたりと、なかなかハードな経験をしている。でも、辞めたいと考えたことはないのだと言う。「それよりも、『子どもたちのほうがつらいかな?』と思うんです。私に甘えたいんじゃないのかな。『どんな問題を抱えているんだろう』と、そっちのほうが気になりましたね」

「竹林じゃなかったらアカンのや!」苦労を証明してくれた一言。

2〜3年次には京都市立の小学校でボランティアを経験、4年次からは総合育成支援員として勤務した。同時に採用試験の勉強も本格化する。「両立はしんどい面もありましたが、勤務先の先生方に支えられていると思うと心強く、勉強しなければという程良い緊張感につながりました。また、現場で子どもたちに触れて学んだ経験が、試験勉強にも試験の場にも活かせました」
現場での竹林はいつも、特別なことをしていたわけではない。担任の先生と話し、子どもと2人きりになれる時間があれば「どうしたん?」と声をかける。あまりこちらからは喋らず、一緒にいるだけ。そうすると子どものほうから話をしてくれるのだ。「ずっと『うんうん』って、彼らの話を聞いているだけですよ」。さも簡単に言うが、誰もができることではない。
ある日、先述の支援先の小学校に、別の大学生ボランティアが訪れた。するとあんなに言うことを聞かなかったはずの子どもたちが、「僕らは竹林じゃなかったらアカンのや!」と叫んだのだ。まだ現場に馴染む前だったその大学生には気の毒だが、「先生冥利に尽きる」場面である。いつの間にか竹林は、子どもたちにとってなくてはならない存在になっていた。
そのときのことを竹林本人よりも興奮気味に語るのは、教職支援センターの岩渕先生だ。「その場に居合わせた校長先生が、『彼女の思いが実った瞬間を目の当たりにしました、うれしいことです』と、大学へ連絡をくださったんです。私もうれしかったですよ!」。岩渕先生の隣で、いつもは飄々としている竹林が少し照れたようにはにかんだ。

採用試験の情報入手ルートを自分で開拓。模擬授業では満点を獲得。

香川県の教員採用試験を受験したのは、谷大からは竹林1人。情報の入手ルートも自分で開拓せざるを得ない状況だった。1番困ったのは模擬授業。「何も分からないし、過去問を見ることしかできなくて、心配になり過ぎて…」。初めは途方に暮れた。
「母校に教育実習に行かせてもらったとき、現場の先生にメールアドレスを聞き、連絡して過去の試験について色々と教えていただきました。本当にまったく情報が無かったので」。結果的に、竹林のその前向きなアクションが、実習先の先生たちを動かす。「多くの先生が、『香川県ではこんなことしてるよ』『こんな傾向があるよ』と、指導案などさまざまな資料をくださって。すごく良かったです、大きな力になりました」と話す。
また、教職支援センターのアドバイザーの指導を受けるだけでなく、他県の試験を受ける仲間を集めて模擬授業をしたりと、奮闘を続ける竹林。教わったこと、自身で気付いたことはすべてノートに落とし込んだ。「これが板書計画で、これが問題で…」と、きちんと整理しひたすら書き続けた。ガムシャラにまとめたそのノートは、何よりも貴重で「誰にも渡せない」と笑う。竹林の生涯の宝物だ。
こうした努力が実を結び、採用試験の模擬授業はなんと満点、現役合格。地方試験の孤独な戦いに勝利した。将来は、「ユーモア溢れる元気な、このままの先生に」。彼女の一直線で、ただただひたむきな快進撃は、故郷・香川でも続く。

教育実習にて。竹林の発問に対して、子どもたちは元気に手を挙げてくれた

採用試験に向けてまとめたノートと資料

ノートや香川県の資料を見ていると、多くの方々に支えられていたことへの感謝でいっぱいに。

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