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そして、教壇へ。~彼らと教職支援センターの日々~

先生になるにはどうすればいいですか?2016

(15) 西村 芳樹さん

一時は教職を断念、民間企業へ。迷い道、回り道は、無駄ではなかった。(西村 芳樹)[2013年3月 教育・心理学科卒/2016年度 京都府教育委員会採用(小学校)]

4年次の5月。母校に教育実習に行って、4年生を受け持った。言うことを聞かない子どもに注意していると、別の子が騒ぎ始める。「静かにしろ!」大きな声を出すと、「わー、先生が怒ってんでー」と、また騒ぐ。収拾がつかない。ムカついた。そしてその後、頭の芯がすっと冷えた。「これは俺、アカンのと違うか…」
父親は警察官、母親は看護師、そして祖父は小学校の校長先生。そんな家庭に生まれた3兄弟の長男で、3人の子どもたちを公務員に、というのは母の夢でもあり、西村本人も子どもの頃から何となく教師になるのかな、と思っていた。大谷大学が教育・心理学科を開設したときにはその一期生として入学し、教職支援センターのスタッフや教員から期待されているのを感じ、また、その期待に応えようと努力もしてきた。1年次から3年次まで、フルで単位を取得し、学校ボランティアやおおたにキッズキャンパスにも積極的に参加した。
「でも、正直に言って大学生には勉強以外にも楽しいことがたくさんあるじゃないですか。教職への道をまっすぐ進んでいるだけで、俺、ほんとにいいのかな、みたいな思いもどっかにあったんですよね」

世の中には、もっと楽しくて自分に向いている世界がある?

3年次の終わりに、アパレルのショップでアルバイトを始めた。流行の服に身を包み、ファッション感度の高いスタッフや顧客と話をするのは楽しかったし、社内での信頼も勝ち得てきつつあった。「卒業したらうちにおいでよ」…そんな声をかけられるようにもなってきた。そんなとき、教育実習で自分の教職への適性に疑問を持ってしまったのだ。教員採用試験に向けて勉強のピッチを上げなければならない時期だったが、まったくやる気が出ない。試験の前日も夜中まで呑んでいて、当日、配られた試験問題を見ても「あまりの分からなさに笑えてきた」という体たらくだった。父と母に告げた、教師は辞めた、アパレルの店員になる、と。
「もちろん、猛反対されました。特に母親には。父は、いつかは戻ってくるだろう、と泰然と構えていましたけど」

ずっと見ていてくれた人がいた。だからできた、軌道修正。

卒業後、アパレルショップで働き始めた西村を、教職の道に呼び戻してくれた人が、もう1人いる。小学生の頃から高校までバレーボールをやっていた。高校生の頃、練習試合で出会った対戦チームの顧問の先生と、なぜか仲良くなった。その先生が主催するクラブチームにも参加し、大谷大学の教育・心理学科に進学することを伝えると、「そうか、君は向いてると思う、頑張れよ」と励ましてくれた。その後、教職の道を断念してアパレルショップに勤めていることを知ると、「何をやっているんだ、今からでも講師登録をして俺のところに来い」と誘ってくれた。春、夏、秋…季節の挨拶のように、誘いのメールや電話が来た。そのたびに、教職を目指して努力していた頃のこと、スポーツ少年団の子どもたちにバレーボールを教えていた頃のことを思い出した。
「楽しかった。楽しいだけでなく、子どもたちのために力を尽くすことで得られる充実感は、何ものにも代えがたいと思いました」
自分がどうなりたいか、ではなく、子どもたちのために何ができるか。きれいごとではなく、本当に楽しいと思えるのはそういうことだと気が付いた。アパレルを1年で退職し、誘ってくれた先生が教頭を務める小学校で、講師を始めた。
それから2年。西村は3度目の教員採用試験を受験し、合格した。その直前、アパレル勤務時代に出会った恋人にプロポーズしていた。ずっと支えてくれた彼女だった。2人で合格を喜びながら、回り道をしたことは無駄ではなかった、と思った。 

おおたにキッズキャンパスでもムードメーカーに

大恩ある村上教頭先生と

「受かるまで面倒見てやる!」との男気に負けて先生のもとに。今回の取材でも自分のことのように喜んでくれた。

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