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そして、教壇へ。~彼らと教職支援センターの日々~

先生になるにはどうすればいいですか?2016

(5) 井上 慧さん

楽しいけど、ラクじゃない。先生はいつも、歯を食いしばっている。(井上 慧)[2009年3月 社会学科卒/2016年度 京都市教育委員会採用(中学校・社会)]

小学校の免許は取らない、と決めたときのことをよく覚えている。両親も姉も小学校教師という家に育った井上の、驚くべき決断だった。授業もあと1単位を残すのみの状況で「やめた」と言ってのけた彼に、教職支援センターの面々は衝撃を受け、当然説得を試みる。が、当人の意志は固かった。すべての教科をこまかく網羅しながら教えることは、自分には向いていないと感じたのだ。
「中学校でもっと社会科を専門的に教えたいという強い思いがありました。それに、中学校時代のバスケ部の顧問の先生に憧れて『こんな大人になりたい』と思ったことも、僕の中では大きかった」
その先生は、嘘をつかない人だった。隠しごとをせず、中学生だった当時の自分たちにも本音で全部話してくれた姿が心に響いた。正面から相手にぶつかることは、近道のようで実はもっとも難しい。「今の僕にも同じことができているだろうか?」 飾らず誤魔化さず、周囲にも自分にも正直でありたい。井上は邁進する。

毎日の経験と勉強の積み重ねから、考え方や授業スタイルが確立。

合格の桜が咲いたのは、卒業から7年目のことだった。もちろん焦りはあった。自分より若い人が次々と合格していくのを見ては、ため息が出たことも。けれども、諦めたことだけは無かった。
「生徒と接していると、やはりこの仕事はおもしろいと実感するんです。だから最初は講師として学校現場を知り、経験を積むことに力を注ぎました。コツコツやってたら何とかなるやろ、と」
「何とかなるやろ」というのは井上の口癖だ。口に出すうちに楽観的になれると言う。しかし、口だけではない。毎日1時間、雨が降ろうが槍が降ろうが雑務に追われようが必ず勉強時間を確保した。職場には資料も豊富に揃っていたし、教材研究を兼ねて一日も欠かさず勉強し続けた。バスケ部顧問として土日も働いたが、忙しさが苦になったことは一度も無い。昨年初めて3年生の担任を任され、卒業まで気が抜けない日々の中でも、「生徒も自分も同じ受験生なんだ」と思うと、モチベーションを下げる暇すら無かった。
不採用と採用の境目は、自分でも明確に認識できた。一つ目に、面接での自己PRの方向性を変えたこと。現在勤務する烏丸中学校で補導主任を務め、他学年や校内外との連携について学んでからは、自然と周りの様子が見え始めた。これまで自分を前面に出すことに終始してきたが、今年は周囲を活かすアピールができたのでは、と分析する。もう一つは、模擬授業に班活動を取り入れたこと。これも烏丸中学校で、先輩の先生から学んだやり方だ。座学ばかりでは集中できない生徒も授業に参加させ、全員で話し合う機会を設けながら考えていく進め方で、「アクティブラーニング」と呼ばれる。井上の教師としての考え方や授業スタイルが、多くの実体験を経て確立した結果と言えるだろう。

教職支援センターは、立ち止まって初心に戻れる場所。

教職支援センターへは、「遠足の下見で近くに来たので」「学生ボランティアを派遣してください」「用は無いけど来ました(笑)」と、今でも頻繁に顔を出している。数年前、小学校の免許は取らないと宣言した井上のことを一番怒ってくださった先生とは、以来すっかり良い飲み仲間だ。この先生と話しているとふと、学生時分に若返ったような錯覚に陥る。初心に戻り、考えをまた新たにする感覚と言うべきか。
「学校の先生って、いつも歯を食いしばっているんですよ。楽しいけどラクじゃない。中途半端にやってると、被害を受けるのは生徒なんです」
力説する拳に力が入る。いくつになっても立ち止まらせてくれる場所があるのはありがたい。ときには自分を見つめ直し、また明日に備えるのだ。

憧れの先生と同じく、井上もバスケ部顧問を担当

社会科の教科書とノート

実際に使っている教科書と、板書計画を書き込んだノート。縄文人と弥生人の顔の特徴を学ぶ授業では、生徒から予想以上におもしろい回答が集まった。

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