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そして、教壇へ。~彼らと教職支援センターの日々~

先生になるにはどうすればいいですか?2015

(13) 山岡 広果さん

あれもこれも、全部やる!60歳を過ぎても教師でいたいから。(山岡 広果)[2015年3月 仏教学科卒/2015年度京都市教育委員会採用(小学校)]

山岡家は教師一家である。父は中学校の、母は小学校の、そして以前は祖父も小学校の教師をしていた。後を継ぐというものでもないが、幼かった山岡が同じ道を志したのは、ごく自然のことだった。
「最初は母のような先生になりたいと憧れていたんです。まあ、父とも仲良しですけど、でもうちの父、ゴリラみたいなんだもん(笑) 人に気は遣わないし、学校で暴れてるっていう噂もたまに聞いたし、私が中学生だった当時は娘としてちょっと恥ずかしいなと思うこともあって」
だが、自分が中学校へ教育実習に行ってから、教師としての父に対する思いが変わった。子どもとの関わり方に悩んでいた山岡に、「子どもたちと力比べをしてるんや。媚びたらアカン。怒るときは怒る」とアドバイスをくれた父。私も先生の一人だと自覚することができた一言だ。ゴリラのごとく奮闘していた父の姿に、合点がいった瞬間だった。
「家の父も外の父も、どちらも大好きです。父もやっぱり、すごくいい先生だなあと思いました」

友だちとにぎやかに、授業の打ち合わせ

教職支援センターは、毎日立ち寄る「コンビニ」のような存在。

教職支援センターは、山岡にとって「コンビニ」のような存在だ。毎日お菓子を買いに行く感覚で気軽に立ち寄っては、ボランティアや採用試験の相談を持ち込んでいた。特に、馬場先生の顔を見るとホッとする。実は採用が決まった今年度、1つでも単位を落とせば採用取消になるという、ギリギリの状態だった山岡。馬場先生を大変心配させていた。
「本っ当ーーに、色々と助けていただきました」
とは言え、勉強不足だったわけではない。その逆だ。仏教学科のカリキュラムで取得した、中学校と高校の教員免許以外に、通信教育プログラムで小学校の免許も取得。学校図書館司書教諭、社会教育主事任用資格も取っている。とにかく忙しい4年間だったが、山岡はそれだけでは止まらなかった。
「あれもこれも、今しかできないことを全部やりたいんです。後から、あのときやっておけば良かったと思うことが無いくらいには、やりきったかな」
採用試験と資格取得に向けた勉強、多種多様なアルバイト、ボランティア、総合育成支援員(非常勤講師)、富士登山やフルマラソン出場など。まさにエネルギッシュな山岡らしい充実の日々と言えるだろう。
フルマラソンは、採用試験の面接で感動体験を話す際のネタにしようと考え、友だちの大河亜由葉さんを誘って参加した。ともに完走し、ともに採用試験にも合格。そして、ともに今回の「そして、教壇へ。」に登場している。大河は子どもたちに自慢するんだ、とうれしそうに話していたが、誘った側の山岡自身はどうも若干、腑に落ちていない。
「面接で質問されなかったんですよ!これまで京都市採用試験では毎年、感動体験を聞かれていたはずなのに。先輩たちにもリサーチしたのに。42.195km走ったのに、まったく活かせず…」
一応山岡も、ボランティア先の2年生の子どもたちに話はしてみた。が、「マラソンってしんどいの?」とピンと来ない顔をされ、落胆しつつ大笑いしたのだった。

今の自分にできるのは、元気に子どもたちを引っ張ること。

「私の取り柄は明るく元気なところです!」
笑顔をたやすことなく山岡は言う。小中高すべての教員免許を勝ち取った彼女には、長期的野望がある。まだあまり授業も上手くできないであろう初年度からしばらくは、とにかく自分が先頭で元気に子どもたちを引っ張っていこうと決めている。「先生は今日も元気だし、僕たちも頑張ろう」と思ってもらえれば成功だ。その後も子どもの個性をよく見続け、小学校で身に付けた力を中学校で活かせるような、繋がる教育を目指す。
「そして60歳を過ぎて定年になったら、高校の国語の先生をゆっくりやりたいんですよ」
年を取っても子どもと関わっていたい。40年後も、山岡はきっと元気に笑っていることだろう。

お世話になった馬場先生と

貸していただいた本が面白かったといった日常の雑談から、採用試験や授業の大事な相談まで、教職支援センターの馬場先生には何でも話すことができた。

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