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そして、教壇へ。~彼らと教職支援センターの日々~

先生になるにはどうすればいいですか?2015

(6) 宮田 茜さん

私は「しつこい」よ!生徒諸君、覚悟なさい。(宮田 茜)[2015年3月 哲学科卒/2015年度大阪府教育委員会採用(中学校国語科)]

バンッ! 教室の黒板に弁当が投げつけられ、教卓に卵焼きが転がる。廊下のあちこちにガムがこびりついていて、休み時間に先生がそれをコテでこそぎ落としている。林間学校にでかければ、宿舎に爆竹が鳴り響く。宮田が通っていた中学校は、荒れていた。そんな“北斗の拳”的な環境のなかでも、宮田は3年間、楽しかった、という。先生がいたから、先生がいつも自分たちのことを気にかけてくれているのが分かったからだ。
「小さいころから、大人と話すのが好きな子どもでした。先生は敵じゃない、と、なんとなく信じていたんです」
だが、荒れていた生徒たちは、先生を仮想敵と見なしていた。あるとき、先生が教室から閉め出されたことがある。「宮田さん。開けて」廊下から先生が私に呼びかける。そのとき、宮田は席を立つことができなかった。生徒に問題があるのは当然だが、教師の側も、ただ教師であるというだけでは生徒はついて来ない、ということも、今なら分かる。
先生が大好きだから、自分も先生になりたい。そういう素直な思いと同時に、人間って難しい、ほんとに私にできるのかな、という少しの不安も生まれた。自分の中に芽生えた希望と問題意識を見つめ、育てるために、宮田は大谷大学の哲学科に進学した。

道徳は教えられるか。全力で考え続けた。

哲学科では、倫理学・人間関係学コースで学んだ。卒業論文のテーマは「道徳は教えられるのか」。そもそも道徳とは何か。それを教えるとは具体的に何をすることなのか。とりわけ教育の現場でそれが可能なのか。
「道徳的な行為を示す、という意味なら、それは可能だと思います。でも、心の中は分からない」
たとえば、貧しい子どもに手をさしのべる、という行為は、文句なく正しい。これこそ道徳的な行為です、と示すことはできる。だが、それで道徳を教えたことになるのだろうか。その行為を行う人が何を考え、どういう価値を意識しているかというところまでは、タッチできない。そこまで踏み込んでこその「教育」ではないか、と宮田は思う。
どうしたらいいのか、真剣に悩んだ。問題意識の背景には、あの中学校の、荒れた教室があった。
「まだ実践経験が乏しいので、偉そうなことは言えないんですが、答えは“対話”にあるんだと思います。中学校時代、先生の言葉は確かに私に届いていました」

哲学科の卒論指導は厳しい

サインを出し続ける、という教師としての責任。

自分の頭で考え抜いた仮説を胸に、宮田は母校での教育実習に向かった。その教室は、「あんのじょう荒れてました(笑)」
笑って話せるのは、成長の証しだ。宮田は、クラスの生徒たちに積極的に話しかけた。そっぽを向く子も、反応が鈍い子もいる。みんながみんな、中学時代の宮田のように“先生大好き”な生徒ばかりではない。「うるせー!」と、とりつく島もない生徒もいた。でも、それも重要なレスポンスだ、と宮田は言う。
「大切なのは、コミュニケーションを始めることです。そして、始めたら途中で止めない。私はいつでもあなたたちを見ている、というサインを出し続けたい」
2015年度の大阪府教員採用試験。宮田は現役合格を果たした。4月からは、中学校国語科の教員として教壇に立つ。赴任先はまだ決まっていないが、どこへ行っても、宮田は生徒たちと積極的に対話を続けるだろう。そして、「道徳は教えられるか」という問いの答えを探し続けるだろう。
「国語という科目には成績がつきますが、道徳は点数とはなじみません。でも、点数がつかない学びの方が、むしろ大切だと思いませんか」
大阪府は、明るくて、しつこくて、子ども思いの、可能性に満ちた教員を一人、手に入れた。

教師塾への勧めを断ってまで続けた野外活動のボランティア。参加する子たちへ、手作りのプレゼント。

生徒への手作りメッセージ

教育実習の担当クラスで、思い出や、嬉しかったこと、みんなのいいところを伝えた。また、国語の授業では短歌作りを実施。「ピカイチ☆短歌決定戦!」結果報告を作成。パソコンが苦手なので全部手書き…それでも思いが伝わればと一生懸命作成した。

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