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そして、教壇へ。~彼らと教職支援センターの日々~

先生になるにはどうすればいいですか?2014

(8) 吉田 和雅さん

子どもたちに“人への思い”を。その道しるべになりたい。(吉田 和雅)[2011年3月 史学科卒/2014年度滋賀県教育委員会採用(中学校社会科)]

そのとき、吉田は母校のグラウンドにいた。野球部の後輩の指導をしていたのだ。
突然、視界がぐらりと揺れた。吉田も野球部員たちも、グラウンドに這いつくばって動けない。2011年3月11日、吉田は郷里の福島で東日本大震災に遭遇した。卒業を目前に控えた春休みだった。実家は半壊、津波は通りを一本挟んだその目の前に迫った。前年の教員採用試験に失敗した吉田は、この春から福島の高校で講師をしながら再チャレンジすることに決まっていたが、その高校の校舎も壊れてしまった。なによりも、吉田自身の気もちが折れかかった。
「教職浪人なんかしてる場合だろうか、と。とりあえずどこかに就職して、働かなくては…。でも、それにしても衝撃が強すぎて、動き出す気力が出てきませんでした」
そんなとき、吉田に力を与えてくれたのは、大学の野球部、そして教職支援センターに集まる仲間や後輩たちだった。京都で借りていたアパートを引き払うために戻ってきたとき、彼の元に大勢の人が集まった。水は足りているか、毛布はどうだ、必要なものあったら何でも言ってくれ…。言葉が染みた。がらんどうのようだった吉田の中に、小さな熱が灯った。
「野球部の連中は4年間を共にした仲間だったけど、教職を目指す人たちの中には、話したこともない人もいました。そんな人たちが、みんなで僕を心配してくれている。助けてくれようとしている。もう一度始められる、と思いました」

吉田さん

震災の経験を語り、伝える。それが教師としての自分の使命だと思った。

もう一つ、吉田を励ましてくれた出来事があった。滋賀県の木之本小学校が、そんな事情ならウチでどうだ、と講師として受け入れてくれたのだ。アルバイトをしながら独りで浪人生活に入ることも覚悟していた吉田にとって、これは本当にありがたい申し出だった。
「先生方も、とてもよくしてくれました。被災した僕の家のことを心配してくれるだけでなく、採用試験に向けた勉強が決定的に出遅れていた僕にさまざまなアドバイスをしてくれました」
学生時代にも教職支援センターのすすめで、積極的に学校ボランティアに参加していた吉田だったが、やはり常勤講師として毎日フルタイムで子どもたちと向き合うと、経験の密度が違う。職員室の中でも、同じ目標を共有する“同僚”として扱われたりもする。木之本小学校に続いて常勤講師として勤務した同じ滋賀県の伊吹高等学校でも、充実した日々を過ごすことができた。ある日、職員室で言われたことがある。「俺たちは震災を経験していない。君だけが、それを子どもたちに伝えることができる」。そのとき、本気で教職を目指そうとする吉田の“腰”が定まった。教職支援センターに帰ってきたとき、吉田は言った。
「俺、教師になります」
「え、いや、なるんだよね」
「いや、だから、絶対になるんです!」

吉田さん

生きることは、助けられていること。そして、だれかを助けること。

2013年、吉田は滋賀県の教員採用試験に合格し、この春から中学校の社会科教員になる。もちろん、野球部の指導もしていくつもりだ。
「震災によって僕は多くのものを失いました。生きていく気力さえなくしそうになりました。でも、とてもたくさんの人たちが、僕を助けてくれました。物資だけでなく、助けようとするその心が、僕の心に響きました。考えてみれば、被災する前から、僕は多くの人に助けられてきたんです。両親、小学校以来の先生や友だち、野球の仲間、そして、教職支援センターの人たち。生きているということは、だれかに助けられているということ。そうではないですか?」
生徒たちに、人への思いを語り続ける。そんな教師に吉田はなる。

児童からの手作りプレゼント

どちらも最初に勤務した小学校で児童からもらった物。図工で作った紙の貯金箱と描いてくれた絵で、どちらにもありがとうと小さく書かれている。初めてもらった、子どもの感謝の気もちのこもった物。今でも大切にしている。

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