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そして、教壇へ。~彼らと教職支援センターの日々~

先生になるにはどうすればいいですか?2013

(8) 八重樫 見沙さん

子どもが大好き!その一念で学習面の不安を乗り越えた。(八重樫 見沙)[2013年3月 教育・心理学科卒/2013年度京都府教育委員会採用(小学校)]

ヤエガシが先生に!? しかも現役で合格!?
そのニュースに、一瞬、衝撃が走ったのである。だが、やがてその驚きは納得に変わる。「うん、あいつ、頑張ってたもんなぁ」「考えてみれば、あの子ほど先生に向いている人はいないわ」彼女を知る人々、とりわけ教職支援センターのスタッフは、深くうなずくのである。
八重樫は、学習面で大いに不安を抱えていた。
「自分で言うのもなんですが、小学生の頃はようできる子やったんです。それが、中学、高校とどんどん成績が落ちてきて。ほんま、大谷大学によう入れてもらえたと思って」
それでも彼女が教育・心理学科に入学したのは、「先生になりたい!」という強い思いがあったからだ。小学生の時の担任の先生が大好きだった。児童一人ひとりに寄り添い、褒めるときはみんなの前で、叱るときはみんなにわからないように、という方針を徹底していた先生だった。卒業後も付き合いは続いていて、大学進学に際してもその先生に相談した。「先生みたいな教師になりたい」「うん、頑張り! あんた、絶対向いてるし!」

八重樫さん

「ミサちゃん」から「ヤエガシ先生」へ。学校ボランティアで得た、心構え。

大学に入ってからは、まずは現場を知ること、との教職支援センターのアドバイスを受けて、1年次から積極的に学校ボランティアに参加した。たとえ小学校といえども、その教科内容をきちんと理解し、説明することは容易ではない。たとえば「分数で割る」ということの“意味”を、どう考えたらいいのか。子どもたちは悩む。八重樫も、同じように悩む。
「そんな状態だから、子どもたちにとっては、私は先生というよりは“近所のお姉ちゃん”でした。だから『ヤエガシ先生』じゃなく『ミサちゃん』と呼ばれていました」

八重樫さん

最初は、それがうれしかった。子どもたちがなついてくれるのが、ただ幸せだった。だが、やがて「それは違う」と思うようになった。
「黒板の前に立つ先生は、子どもたちの指導者であり、責任のある立場なんだ、と。学校ボランティア先の先生方とお話しするうちに、自分の甘さに気づきました」
それ以来、教室では意識して共通語と敬語を使うようにした。子どもたちも、いつしか自然に「八重樫先生」と呼ぶようになった。
教師としての心構えは、学校ボランティアや京都府教育委員会のインターンシップ、教師力養成講座に参加することで、徐々に作り上げていった。学習面では、教職支援センターで行っている教職教養、一般教養、小学校全科(基本)、小学校全科(応用)、直前講習等のすべての対策講座に無欠席で参加。また、教職アドバイザーによる論文・面接セミナーにも全回参加し、苦手を克服していった。センターに行けば必ずいる八重樫の周りに、同じ教職をめざす仲間たちが自然に集まって、大きな輪ができた。

つらい日々も仲間たちの笑顔に支えられて。

「正直、つらいときもありました。今日はもう家でダラダラしてようかなぁ、とか。でも、そんなときは仲間たちからメールが来ました。『ヤエガシ、どしたん? 待ってるでー』って。仲間がいたから、頑張れた。こんな私を見捨てないでいてくれて、みんなありがとう! って言いたいです」
なによりも、八重樫自身が、自分を見捨てなかった。「あのこら、ほんま可愛いやろ。子どもが頑張ってる姿を見てたら涙が出るわ」八重樫が尊敬する小学校時代の恩師は、よくそう言っていた。今の八重樫を見たら、先生は同じように涙を流して喜んでくれるだろう。

イラストを描くのが得意

「おおたにキッズキャンパス」の受講生募集チラシに使われたイラスト。依頼されて10分ほどで描き上げた。今もセンターに飾られている。

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