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そして、教壇へ。~彼らと教職支援センターの日々~

先生になるにはどうすればいいですか?2013

(1) 永井 教顕さん

ともに学ぶ仲間たちと励まし合い、3回目の挑戦で見事合格!(永井 教顕)[2010年3月 哲学科卒/2012年4月より岐阜県大垣市立西部中学校教諭(社会科)]

永井が入学したとき、大谷大学にはまだ教育・心理学科が開設されておらず、「教育」について学びたい学生は哲学科の教育学コースで学ぶケースが多かった。中学生のころから「教師になりたい」と強く思っていた永井も、このコースを選んだ。
「ずっと野球少年で、高校も野球がやりたくて特色化選抜で入学しました。高校時代は当然のように野球ばかりの毎日で、勉強はぜんぜん(笑)。それでも先生になりたい思いはあって、高校の先生に相談したら、『京都の大谷大学は教員養成に力を入れている。なんとかそこに入れ!』と勧められました」
永井が教員を志望するきっかけとなったのは、中学校での野球部の顧問や、担任の先生との出会いだった。永井にとっては、担任の先生が母親代わりのような存在で、高校の特色化選抜の合格が決まったときには、いっしょに涙を流して喜んでくれたという。だから、教師になるなら中学校で、野球部の顧問をする、と決めていた。

永井さん

時間の不足は集中力でカバー。研究室の一角を拠点に。

だが、教員への道は平坦ではなかった。アルバイトで学費を稼いでいた永井には、勉強の時間も十分ではなかった。
「基礎学力が不足しているのは自覚していたので、とにかく授業には集中するよう努力しました。教員採用選考試験に向けての対策は必要だけど、それ以前に教職課程の単位をしっかり取らないことには話にならない。それに、採用試験の問題も、基本は教職課程で学ぶ内容ですから」

永井さん

忙しい時間をやりくりして、教職アドバイザーに勧められた総合育成支援員と学校ボランティアに積極的に参加した。配属先は京都市立高野中学校。チームティーチングでは、授業に集中できない生徒のとなりに座ってサポートした。生徒の気もちをよく汲んで活動してくれている、との報告が中学校から大学に届き、それ以降、高野中学校の総合育成支援員には、大谷大学の学生が採用されるようになった。
採用試験対策の勉強は、空き時間を見つけては図書館や研究室の隅で黙々と取り組んでいた。勢いをもって学ぶ人は、その周囲に熱を放つ。その熱に引かれるようにして、周りには教職を志す仲間が何人も集まった。
「気がつけば、ちょっとしたゼミかサークルのようになっていました。教職支援センターのみなさんも、いろんな講習の情報など『みんなに伝えといてね』という感じで発信してくれました」

自分の夢は、みんなの願い。僕を押し上げてくれる力があった。

2回目の試験に失敗したあと、永井を支えたのも、教職支援センターや仲間たちとのつながりだった。郷里の岐阜に帰って常勤講師をしているときも、しばしば大学に戻って来てはセンターに顔を出し、当時の仲間たちと待ち合わせては近況を報告しあった。仲間の中には1回で試験を通ってすでに教諭として教壇に立っている者も、また、永井と同じように捲土重来を期している者もいた。だが、互いに顔を合わせれば、教職をめざして切磋琢磨していたあの頃がよみがえってくる。
がんばろうな!
京都でエネルギーを補給しては勉強に励み、3回目の挑戦で見事に合格。現在は大垣市立西部中学校で社会科を教えている。もちろん、野球部の指導も買って出た。「教顕という名前は、将来、先生になったらいいな、と思ってつけたんだ」合格を報告したとき、父がぽつりと言った。

愛用していたグローブ

教員になりたいと思った原点ともいえる野球。これからも大切にして、何かあるたびにその気もちを思い返します。

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