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2009年度新着一覧

2009/07/18

教育・心理学科開設記念シンポジウム開催

主 催 大谷大学、朝日新聞社広告局
協 力 テレビ大阪、エフエム京都
後 援 京都府、京都市、京都府教育委員会
京都市教育委員会、財団法人大学コンソーシアム京都

今春、大谷大学に教育・心理学科が誕生したことを受け、7月18日大谷大学講堂において、記念シンポジウムが開催されました。不登校やいじめなど、教育現場がさまざまな難問に直面している今、子どもの教育に携わる者にとって何が一番大切なのか、そして子どものこころのメカニズムを解き明かし、子どもと豊かな関係を築くにはどうすればいいか——これらをテーマに、数多くの示唆に富んだ発言が繰り広げられました。当日のダイジェストをご紹介します。

シンポジウム パネリスト一覧

主催者のあいさつ
 大谷大学文学部 教育・心理学科主任 水島 見一 教授

大谷大学文学部 教育・心理学科主任 水島 見一教授

本学の教育・心理学科のめざすものは、誠実に子どもと向き合うことのできる先生を生み出すことです。ここで言う「誠実な先生」とは、いつでも、どこでも、誰とでも、誠を尽くすことのできる先生を言います。その誠実な先生を作る柱となる学問が、大谷大学の人間学であり、その人間学を土台に、教員になるための知識を学び、また子どものこころを見つめるための心理学を学ぶのです。本日のシンポジウムでは、子どものこころにスポットをあて、彼らと豊かな関係を築くにはどうすればいいかを考えてみたいと思います。

第1部 基調講演
 ノッポさんの小さい人とのつきあい方

幼児期の記憶は鮮明に覚えています

人間には、幼児期の体験をよく覚えている人と、すっかり忘れてしまう人がいます。僕は前者です。これは僕が生後7カ月くらいの記憶ですが、部屋の片隅にひとり寝かされていました。目覚めた僕は、両親を捜して玄関先まで行ったのです。障子にはめ込まれたガラス窓を通して、両親の姿が見えました。「お~い、僕はここだよ」とばかりにオギャーとやったのですが、両親は気づかない。何度やっても気づかない。「聞こえないわけはないのに、どうして知らんふりするの。そっちがその気なら、こっちにも覚悟があるから」と、ガラス窓に頭ごと突っ込んだ。そのときの血だらけの僕を見て、両親が走り寄る姿を、今もまざまざと覚えています。このとき僕が、いったい何を思ったかというと、「ほ~ら、言わんこっちゃないでしょう」——そういう意識だったことを鮮明に記憶しています。

4歳のとき、工場経営で成功した東京の母の実家に呼び寄せられ、京都から引っ越しました。祖母、伯母(母の姉)、それにいとこの女の子がおり、この子とは同じ幼稚園に通うことになりました。そして卒園式を迎えるにあたり、僕が謝辞を読むことに。帰宅して母にそう告げると、たいそう喜んで、伯母に話してきなさいと言いますから「どうやら名誉な役をおおせつかったようだ」と意気揚々と祖母、伯母に報告をすると、二人して文机の向こうから「そこにあるもの読んでちょうだい」と言います。おけいこをつけてくれるのだと思って「わたしが…」と読みだすと、「が」の発音を正されるのです。僕には違いがわかりませんでしたが、何度やっても違うと言います。「この子は東京の子じゃないから、正しい『が』が言えない。人さまの前で読まれると恥ずかしいから、先生に言ってお断りしましょう」。母に顛末(てんまつ)を話すと、口をギュッとゆがめて「ふん、姉さんらしいわ」——この瞬間、5歳の僕はすべてを理解したんです。世話している側と、世話になっている側。その世話している側の娘をさしおいて、世話される側の息子が謝辞を読んでは、向こうが困る。上はいつも上、下はいつも下でないといけない。翌日から、祖母も伯母も、僕には「他人以上の他人」になりました。

敬意を払えば相手に伝わります

これも同時期の話ですが、近所に印刷工場があって、僕をかわいがってくれるので、よく遊びに行きました。ある日、戸が閉まっていて、シーンとしています。「遊びにきたの」と言っても、返事がありません。帰ろうとしたとたん、人のいる気配に気づきました。「いたんだ」と思って、ドンドンと戸をたたいても、シーンとしています。そのとき戸を通して、僕にははっきりと4人のおじさん、おばさんの姿が見えたのです。一人が「シーッ」と口もとに指を立て、ほかの3人が声を殺してニヤニヤしていました。たぶん忙しくて僕がいては邪魔だったのでしょうが、そんな事情は子どもにはわからない。ウワァ~と泣きながら駆けだしていました。悔しい、だまされたというよりも、僕を愚かな子どもだと見くびっていたのか、との思いがワナワナと僕を震えさせたのです。

いま、僕が小さい人とどんなふうにつきあうかというと、大人たちが僕を小さい人間だとあなどり、屈辱を与えたことは強烈に覚えていますから、決してそうであってはならないと思って振る舞っています。たとえば小さい人に名前を聞くとき、「大変恐れ入りますが、あなたのお名前を聞かせていただければとてもうれしいのですが」と言います。当然、相手はびっくりします。でも、こちらが敬意を払っているのは十分に理解されます。なぜかというと、この小さい人は5歳の時の僕なんです。5歳も、50歳も、75歳も僕には同じ。だからまったく意識することなく、僕にはこうした言い方ができるのです。小さい人は、大きな人が自分に払ってくれた敬意には、死に物狂いで応えようとしてくれます。そしてその後は、必ずといっていいくらい、とても仲良くなれるものなのです。

第2部 パネルディスカッション

パネリスト

高見 のっぽ 氏(俳優・作家・歌手)
脇中 洋 氏(大谷大学 文学部教育・心理学科 教授)
河村 広子 氏(京都市教育委員会 学校指導課 統括主席指導主事)
コーディネーター/
上島 誠司 氏(朝日新聞教育プロジェクト担当プロデューサー)

親と子のかかわりが希薄になっている

ノッポさんは、「子ども」と言わずに「小さい人」とおっしゃっていますね。

僕は「子ども目線」という言い方が嫌いです。というのも、賢明さというものは、5歳で十分に備わるものだと思っていますから。だとすれば、僕が50歳で相手が5歳でも、僕は50歳の全責任をもってその子に向かい、コミュニケーションしなければならない。僕が子どもと呼ばず小さい人と言うのは、単に大人に比べて身長、体重、年齢が小さいという意味でしかありません。

今の教育現場の課題も、実はコミュニケーションをどう取るかという問題に行き着きます。子どもは親の姿を見たり、他人から刺激を受けたり、人とかかわっていろいろ吸収していくものなのに、部屋に閉じこもって携帯でメールばかりしている。親と子のかかわりが薄い、ということが増えてきています。またそれが、学校での友だちとのかかわりに大きく影響しているのかもしれません。

いまの子どもは適切な自己主張ができなくなっている。他人とのバランスをどう取るのかがわからない。相手をつぶして自分を出す、自分を殺して周りの求めるよう振る舞う。この距離がきわめて近い。だから、おとなしくていい子が、突然キレるわけです。

家族の温かいきずなが子どもを伸ばす

昨今は、他人との関係をどう築くかは大人でも難しい。こうしたことが、子どもたちに影響しているとは考えられませんか。

家族なら、一緒に買い物に行くとか、一緒に家事をするとか、その場を共有して親子でいろんな感情を持つことができる。日常のそうした親子関係は、子どもの成長にとって非常に大切です。でも、こうしたごく自然な営みが薄れていることが、子どもたちの言動に大きく影響してくる。たとえば自己主張ということでいえば、周りに配慮して「でも、私は…」と控えめになることはない。「嫌だからイヤなの」といったような強烈な自己主張になるんです。逆に、周りとぶつかることを避け、一人になりたがる子もいます。

傷つくくらいなら一人がいい、という人は結構います。

僕も失敗を恐れて生きてきました。でも何もせずに生きるより、何かにチャレンジして、それで失敗したって、その方が偉いと思うようになりました。こうした考え方を、先生が、大人たちが、小さい人なり若い人に本気になって教えられたらすてきだなと思います。

会場から「子どもとちゃんと向き合う方法は ?」といった質問がきています。

赤ちゃんが抱っこされる、授乳される、そうした行為は泣いたりあやされたりしているうちに培われます。次にモノを共有する段階というのがあって、「月がきれい」といえば、相手も同じものを見るという意識を共有するわけです。しかし、こうした段階が十分でないうちに、一足飛びに言葉の段階へといってしまう人が最近は増えているのかもしれません。ちゃんと向き合うとは、そうした段階を共有していくことだと思うのです。

温かく、くじけない人を教師に迎えたい

「教師をやっていてよかったですか?」と、会場から河村先生に質問です。

「もう辞めたい」と弱音を吐くくらい、つらい思いをさせられた教え子が何年もたって、ふらっと学校にやってきて「先生、あのときはゴメンな」と言ってくれた瞬間は、最高の喜びを味わえます。時間はかかっても、子どもの成長が見えてくる、その子がどこかでいきいきと生きている、そう実感できる喜びが教師をしている最大の理由でしょうか。教師をめざす皆さんには、失敗や挫折をどう乗り越えるか、この「乗り越え体験」をたくさん積んでほしい。そのうえで、温かい人柄で、くじけない強さを持った人でいてほしいです。

脇中先生への質問です。「教育・心理学科では、どのような人材を育成するのですか」

ノッポさんのお話で驚いたのは、実はゼロ歳児の記憶なんです。心理学的にはあり得ません。おそらく感覚が非常に優れ、言語以外の世界で生きていらっしゃる人なんだなという気がします。そういう人が、幼児期、小・中学校と成長するなかで、その特性を引き出してくださる先生に巡りあえたかどうかが、その後の人生を左右することになる。多様な個性というけれど、本当にそれぞれの人間を理解し、その特性を受けとめ伸ばしてあげることがどれほど大変なことか。教育・心理学科で、そうした先生の育成に、一歩でも近づいていければいいなと思っています。

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