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学術研究

大谷学会・学内学会

『大谷大学大学院研究紀要』

第32号~ 目次

※第32号より大谷大学学術情報リポジトリにより、電子媒体のみの公刊となりました。

第11号~第26号 目次

第26号 (2009.12)

大般涅槃道-「海釈」転成・不宿を中心として- 岩倉 彰則
清沢満之の現生不退論-獲信の風光- 後藤 智道
法然の選択思想 玉光 真人
末法と自覚-善導における末法思想形成の背景とその展開- 花園 一実
真仏弟子の歩み-菩提心の現働- 藤原 智
元代華北の寺院住持について-嵩山少林寺歴代住持を中心に- 福島 重
隋文帝の佛教政策に関する一考察-釋曇遷の事蹟を手がかりに- 今西 智久
中国仏教に於ける『付法蔵因縁伝』の位置 松山 貞好
草双紙に見る天然痘-『ささら三八疱瘡除け』を中心に- 寺岡 茂樹
チャンドラキールティにおける菩薩階梯と真実(satya) 太田 蕗子
『宝行王正論』における大乗仏説論についての一考察-『大乗荘厳経論』との比較を交えて- 林 哲照

第25号 (2008.12)

謗法論・序説—『浄土論註』「八番問答」を通して— 塚嵜 拓也
道綽教学における本願の思想 コンウェイ・マイケル
四分律宗と地論宗南道派に見られる学道の一側面—道宣撰『浄心誡観法』の学問批判をめぐって— 戸次 顕彰
善導の仏身仏土観 —浄影寺慧遠との比較を通して— 圓山 亜美
レヴィナスにおける「第三者」の概念—「責任」の問い直しについて— 村田 知子
中世後期堺における法華宗僧の活動—日珖の動向を中心に— 大畑 博嗣
墨家集団における「鬼」の位置付け 嘉村 誠
戦場をかいくぐる書状と使僧—情報伝達からみる北畠親房発給文書— 工藤 克洋
見仏について—仏弟子の瞑想方法を中心として— Maythee Pitakteeradham
『中辺分別論』における所知障—安慧の註釈を手掛かりに 松下 俊英
「 事象そのものへ」をめぐって 竹中正太郎
ヴェーダ祭式からウパニシャッド哲学への「ヒラニヤガルバ讃歌」思想の展開について 菊池 晃

第24号 (2007.12)

親鸞における「果逐の誓」の意義 青木 玲
還相の利益について 今村 幸次郎
親鸞における一念の考察 中村 真人
『史記』にあらわれたる游侠について 安宅 健人
本辭と晉樂所奏に關する一考察—曹植「怨詩行」について— 一澤 美帆
『莊子』における漸悟的側面について 大角 紘一
『家伝』「武智麻呂伝」における藤原武智麻呂像 大平 敏之
寺内町の空間構造に関する一考察—惣構と屋敷割・町割— 森本 修平
異生性と非得 楠 宏生
Ratnakarasanti『般若波羅蜜多要論』(Prajnaparamitopadesa)にみられる三性説の一考察 NGUYEN TIEN YEN
『大乗掌珍論』における認識を巡る議論 宮本 浩尊
治療行為に対する謝礼のあり方—北タイの民間治療師「モー・ムアン」と患者の関係— 小谷 伸子

第23号 (2006.12)

二種回向の考察 安藤 義浩
信心と慚愧 小笠原 智秀
願心の回向成就 —欲生心の現働— 小野 賢明
本願の念仏に開かれる信 —法然と親鸞の機の自覚を通して— 嶋津 行史
「假令之誓願」の悲用 —「化身土巻」要門釈の一考察— 三木 朋哉
聞名に開かれる仏道 —「真宗障害者福祉論」序説— 頼尊 恒信
本願の国土 —生きる「場」を開く願生道— 冨岡 量秀
宝地房証真における学と信 —『止観私記』跋文が示唆するもの— 林 龍太
フッサール『デカルト的省察』—「第五省察」における身体性の問題— 奥田 万里子
上田薫の教育思想 —社会科を中心とする人間形成論— 大野 僚
兪樾と李鴻章 —『東瀛誌選』成立をめぐって— 島 力崗
寺社造栄史における「本願」研究の意義と課題 大谷 めぐみ
隋文帝の諸皇子と仏教 藤井 政彦
近世真宗における<教え>伝達のメディア 松金 直美
近世土佐国における「博士」の存在形態 山本 琢
カマラシーラの縁起論 人見 牧生
必然性と偶然性の問題 —スピノザにおける救済への道程— 富積 厚文
ジャワの大衆芸能 —上演形態と社会変化— 矢野 博之
ノスタルジアの共同体 —在日カンボジア難民のコミュニティ・センタ
ー設立計画を事例として—
堀井 愛
西夏の仏教とその政治的背景 向本 健
ダライラマ13世時代における軍事教練改革運動について 日高 俊
サキャパンディタ著『カダム派ナムカブムの問いへの返事』和訳と研究 目片 祥子

第22号 (2005.12)

如来の現行 —大行についての一考察— 安藤 敬真
親鸞の仏弟子観 —金剛心の行人— 斉藤 研
親鸞の菩提心観 藤間 哲祐
親鸞の戒法観 —仏者の自覚に内在するもの— 森 剛史
元暁の和諍思想における非然・非不然の論理 栗山 哲
契丹大藏經の俗字とその周邊 稻垣 淳央
平安朝における一蓮托生思想について 指方 伊織
大元ウルス時代における江南仏教政策の一側面 —『元典章』に見える住持選任制度より— 清水 智樹
平安から中世前期まで変化する和泉式部像の一考察 —和泉式部像の再検討 その一— 崔 恵珍
無着と世親の修道論の差異 —意言(manojalpa)をめぐって— 都 真雄
『中論』における無自性への道 —五種の探求と不一不異の縁起をめぐって— 小澤 千晶
原始仏教経典に見られるサーリプッタ ーSuttanipata とSamyuttanikaya の Sagathavaggaを中心としてー Chaowarithreonglith Bunchird
ムンダカ・ウパニシャッドにおける静慮の実践体系 間口 美代子
Aditajataka について ー大谷大学図書館所蔵貝葉写本:Pannasajataka からー 村西 弘行
「中体西用」思想の起源について —魏源の思想を中心に— 王 娜
The Transmission of Lay Rinzai Zen Buddhism from Engakuji to America Virginia Fast
アムド・チベット仏教寺院トツァン・ゴンパ(瞿曇寺)のチベット文碑文初考 —永楽16年「皇帝勅論碑」の史料的価値の検討を中心に— 伴 真一朗
Mahabharata 12巻 [Santiparvan] Moksadharma 章における asrama 段階説の成立 山下 基宏

第21号 (2004.12)

光明の摂化 —真仏土の一考察— 平 光慈
清沢満之の『宗教哲学骸骨』第三章霊魂論について 日野 圭悟
『恵信尼消息』第三通に関する一考察 —親鸞の往生を語る恵信尼の意図を中心に— 廣田 万里子
真実信 — 一切衆生に成就する涅槃の真因— 藤元 雅文
親鸞における海の譬喩 — 一乗海と願海— 義盛 幸規
ヒュームの道徳論における一般規則について 田野 美華
『心中天網島』の改作に関する一考察 —『双扇長柄松』・『中元噂掛鯛』・『置土産今織上布』について— 鈴木 睦
中世殺生観と諏訪信仰 —殺生禁断社会における『諏方上社物忌令』の意義— 鈴木 善幸
『神農本草経集注』の産地記載について 吉田 環
  村田 裕美
I.バーリン「二つの自由概念」研究 —消極的自由とはいかなる自由か?— 杭田 浩和
「教養」言説の歴史的分析 大橋 卓士
「国家総動員法」の現代的意味 —共同体を媒介とする民衆統制について— 田中 美樹子
在日コリアンにおける民族教育の現状と課題 —民族学校の問題点を中心として—  
奥能登鳳至郡の歓喜光院殿御崇敬について 矢花 秀樹
『我が身にたどる姫君』の一考察 —女院と女帝をめぐって— 金 明珠
明代万暦期の福建における海上交易 有松 志保
多文化教育について 顧 宇
三島由紀夫『豊饒の海』論 森元 綾奈
トゥケン『一切宗義』カダム派の章研究 井内 真帆

第20号 (2003.12)

親鸞における仏土開顕の意義 伊東 恵深
本願の機ならざる者無し 澁谷 真明
清沢満之の「現在安住」 西本 祐攝
曇鸞の仏道観 —共向仏道— 橋本 真
廃立と顕彰隠密 平野 浩司
『存在と時間』における「歴史性」の問題とその背景 岡本 敦之
近世京都の民衆信仰 —清水寺慈心院と随求菩薩信仰— 加藤 基樹
元禄地震(一七〇三)における江戸での震災対応 西山 昭仁
醍醐寺満済の准后廰と房官に関する一考察 服部 幸子
隠元東渡の真相について 林 観潮
  中島 小乃美
スリランカへの仏教伝来に関する一考察 —Mahinda渡来以前の伝来の可能性について— ウディタ ガルシンハ
労働移動する農村出身女性の意識変容 —東北タイの魚網工場における予備調査から— 藤田 直子
主体の社会関係が外界認知に及ぼす影響についての実証的研究 星津 香織
『金鰲新話』研究史試論 早川 智美
  羽塚 髙照
  三浦 央
『明暗』におけるMoney and Time —“お金”と“お時”— 見掛 美智子

第19号 (2002.12)

藤原兼実と法然 乾 文雄
制欲自戒の生活 —清沢満之・依るべき根拠を求めて— 渋谷 行成
遠く宿縁を慶べ —善知識の発遣— 中澤 明司
願成就の一心 —「信巻」における『論註』讃嘆門釈の問答を通して— 本明 義樹
敦煌本『本業瓔珞経疏』の引用経論について 藤谷 昌紀
エックハルトにおける合一の思想について —親鸞の横超の思想との比較を通して— 長尾 雅士
古文書の筆跡比較に関する一試論 —市河文書の着到状・軍忠状を素材にして— 岡本 隆明
戦国期本願寺教団構造についての覚書 —「報恩講」儀式と寺院組織— 安藤 弥
中世地域社会と村落・公・宗教 —紀伊国相賀荘柏原村西光寺を素材として— 川端 泰幸
西大寺叡尊における戒律復興の内実 上林 直子
親鸞とキェルケゴール —信心と信仰の概念をめぐって— スザ ドミンゴス
過去七仏の菩提樹について 清水 洋平
比丘尼僧伽の成立とそれをめぐる問題点 ダシュ ショバ ラニ
白居易の文学と仏学研究序説 —『長恨歌』に見られる仏学的要素を中心に— 孔 繁志
Resurrection and Regeneration in the Writings of D. H. Lawrence 陳 震
夏目漱石の語彙に関する一考察 陳 黎明
Look! We Have Come Through! —"Ballad of a Wilful Woman"の研究— 津野 泰子

第18号 (2001.12)

名としてはたらく法蔵願心 -信仰主体の確立- 黒田 真慈
信順と疑謗 髙木 淳善
願生の仏道 中西 無量
アーラヤ識説の諸相をめぐる根本問題について —『成唯識論』を中心にして— 畑 毅
南北朝時代における正楽解釈とその基本問題 長谷川 慎

第17号 (2000.12)

親鸞の浄土観 —誓願酬報— 池田 智道
現生正定聚 —その思想的源泉を尋ねて— 小川 直人
清澤満之の宗教的信念 —万物一体— 橋田 尊光
横超の仏道 —『大経』が実現する無上涅槃道— 橋本 知良
護法と法蔵における阿頼耶識説の対比 —『華厳五教章』を手がかりとして— 宇野 公順
玄奘系唯識における五姓各別説の成立をめぐって 坂井 祐円
宋代の公凭について 王 麗萍
法然伝と出版文化 北城 伸子
金代禁衛組織について —侍衛親軍司を中心に— 藤原 崇人
元代における中日仏教交渉 —無学祖元禅師の場合— 馬 俊民
吉蔵の二諦説と月称の二諦説 慧 光
「菩提資糧」から「資糧道」へ 長尾 重輝
ツォンカパの密教思想における顕教の意義 山田 哲也
生成と存立 —キェルケゴールの教会観の二様相— 藤枝 真

第16号 (1999.12)

化身土巻の意義 白鳥 照美
親鸞の転換点 —比叡山下山についての考察— 曽我 円成
本願の名号 —親鸞の名号釈— 竹原 了珠
顕真実教 —『大無量寿経』「発起序」にみる出遭いの意義— 鶴見 晃
『北条重時家訓』における宗教思想の性格 江上 琢成
洪 薔
『摂大乗論』における大乗仏説論 平野 喜之
  櫻井 智浩
ブッダパーリタの中間思想 -中間思想における一考察- 広浜 哲生
  箕浦 暁雄
「キリシタン版」に見られる「霊性」の概念 狭間 芳樹
アメリカにおける日系三世と「仏教会」との関わりについて 見義 信香

第15号 (1998.12)

「三願転入」の文について 田村 晃徳
親鸞における二種回向の問題 中谷 隆志
親鸞における「自然」の内実 山田 恵文
梁代から随代の二諦説の研究 藤尾 和世
北朝における『智度論』受容 —慧思を手がかりとして—  
キルケゴールの宗教哲学的思索における自己理解
—永遠的なものと時間的なもの—
朝日 知行
清沢満之の関係論 三浦 統
唐末五代詩僧研究 —貫休・齊己を中心として— 福井 敏
清沢満之と『エピクテタス語録』 —「不如意」の智慧— 名畑 直日児
コーサンビー諍論説話に見られる共通要素
—『サマンタパーサーディカー』と他部派律蔵との関連性—
奥村 浩基
十支縁起から十二支縁起への展開 —行と識を中心にして— 舟橋 智哉
日本の近代化における海外布教 —韓国における天理教の布教— 陰富 炯
ランリタンパの伝説 —伝説と伝記の間— 三宅 伸一郎

第14号 (1997.12)

普く諸の衆生と共に —真仏弟子の歩み— 一條 顕良
親鸞に於ける時の問題 武田 未来雄
「無間自説経」としての『阿弥陀経』 平原 晃宗
清沢満之における信念の確立 —真に自己なるものへの目覚め— 松岡 雅則
天台における四悉檀について 十川 昭仁
ニーチェのニヒリズム 西川 友和
ハイデガーの真理論 吉元 信暁
『可笑記』の思想構造 —天道論を機軸として— 武田 朋宏
『発心集』の音楽数寄説話について 広小路 直人
 rten'byung と rten'brel —ツォンカパによる「縁起」解釈—
安武 智丸
人間教育学としての釈尊の教化と教育方法論 金 元榮

第13号 (1996.12)

大信の開顕 —その背景を尋ねて 池田 真
深信自身 —大行が展開する信— 大神 栄治
諸仏の家 —『教行信証』「行巻」を中心に— 星名 万美
 平安仏教形成期における三国観 —特に護命・安然の自土意識について—
市野 英夫
仏光寺門末の形成について —湖北地方を中心に— 渋谷 晃
岡本かの子『やがて五月に』をめぐって 宗 晴美
〈菅江真澄〉と旅人の視線 —菅江真澄研究序考— 平野 寿則
ジャイナ認識論に見られる直接知の位置づけ 佐藤 宏宗
『中辺分別論』における空性思想 吉田 暁正

第12号 (1995.12)

浄土の探求 泉 英太郎
源信の菩提心論 内藤 円亮
元暁の『法華宗要』の研究 徐 榮 愛
ヤスパースに於ける「交わり」についての問い 神田 淳世
沈約「述僧設会論」について 島津 京淳
「弘安三年・西大寺伊勢御正躰納入文書」をめぐっての律僧と神祇
服部 了潤
バルトリハリ推論観 —『ヴァーキヤパディーヤ』第1章解読研究(1)—
畝部 俊也

第11号 (1994.12)

智顗の六根清浄について 橋本 秀章
明治初期の宗教政策と仏教 —教部省政策と民衆教化— 上杉 義麿
キェルケゴールにおける信仰と勇気 —『おそれとおののき』をテキストとして—
三村 徹也
知識論の検討 —プラトン『テアイテトス』の感覚説批判— 國嶋 貴美子
中観派における仏護の立場 —仏護の二諦観を中心として— 加藤 秀樹

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